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エッセイ 利休遺偈

GWに三井記念美術館に行った。
「茶の湯の美学」というイベントが
行われていたからだ。
利休・織部・遠州の茶道具が展示されて
いた。

三井美術館は財閥でもあった三井家が
記念美術館に寄贈したものが保管されて
おり、イベント展示しかなく、
常設展示はしていない。
そもそも美術館が国の重要文化財である。

三井家が収集していた美術品の中に、
利休や織部、遠州の茶道具があり、
それが展示されていた。

昔、勅使河原宏監督の作品で「利休」と
いう映画があった。
1989年モントリオール世界映画祭最優秀
芸術賞を受賞している。
ちなみに出演は三國連太郎(利休)、
山崎努(秀吉)、松本幸四郎(信長)
という豪華キャスト。
映画の中で茶道具がたくさん登場する。
利休のわび・さびの美、
織部の破格の美も映画の中で紹介される。

「茶の湯の美学」は6月16日(日)まで
行われている。(あと一か月ほどです)
機会があれば是非行ってみて欲しい。
その際には事前に映画「利休」を見てから
いくことをお薦めします。

利休は秀吉の勘気に触れ、秀吉から切腹を
賜る。映画の中では触れられないのだが、
そのとき利休が辞世の句を詠んでいる。

人生七十
力囲希咄
吾這寶剣
祖佛共殺
堤我得具足一太刀
今此時天抛

この利休の辞世の句の掛け軸が三井家に
伝わっており、それも展示されていた。
利休の後ろ姿を一筆書きで書いた絵と、
辞世の句の掛け軸である。

三井記念美術館は基本的には撮影不可
なのだが、
この掛け軸があった場所は撮影OKだった。
周りの人がパシャパシャ写真を撮っていた
のに気後れして僕は写真が撮れなかった。
なさけない。。

この辞世の句の解釈はいろいろあるが、
僕は以下の解釈がしっくりくると
思っている。

千利休は、日本の茶道の開祖でしたが、
1591年に秀吉の命令で切腹(儀式的な
自殺)しました。
ちょうど、腹を切る前に、
彼は辞世の句でこういいました。
「この剣をもつとき、
ブッダも祖師もいない」
その意味は、大いなる心の剣があるとき
には、そこには二元的な世界はない、
ということです。
たった一つ、存在しているのは、
この精神です。
このような、外側のものに動揺しない
精神が、つねに茶の湯には現前して
います。
利休は、どんなことも二元的な考えでは
行いませんでした。
彼は、一瞬一瞬に死ぬ用意がありました。
茶の湯の儀式のたびに彼は死に、そして、
そのたびに生まれ変わるのです。
これが茶の湯の精神です。

鈴木俊隆「禅マインド・ビギナーズマインド」p64


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