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エッセイ 入門 山頭火

*はじめに
山頭火が自由律俳句の第一人者であると
いうことは、
恥ずかしながら今回読んだ本で知りました。
堅苦しくなくとてもわかりやすかったので、
これらから山頭火を勉強したいという方の
入門の本としては、お薦めです。

叱られてしまうと思うけれど、
山頭火といわれて、一番最初に頭に浮かん
だのは旭川にあるラーメン屋の「山頭火」
です。
以前(かなり以前ですが)、北海道にバイ
クでツーリングしていた頃、旭川での目的
地の一つが「らーめん山頭火」でした。

当時のバイクツーリング雑誌に載っていて、
近くに行ったら必ずよるべし!的なことが
書かれていて、
夕暮れにやっとたどり着いた店で食べた記
憶があります。
細めの麺が白濁のスープに絡んで、美味で
した。
(例によって、記憶は怪しいのですが。)

全然違う話しに行ってしまったので、
ここらで本題に。

僕が読んだ本は、たまたま書店で目にした
本だ。町田康「入門 山頭火」(春陽堂
書店)である。

山頭火の本を探していたわけではないのだが
自由律俳句の山頭火ってどんな人なのか、
気になっていたので、僕にしてはめずらしく
新書を買ってしまった。

僕は町田康という人の本をそれまで読んだ
ことがなかった。
若い人なのかと思いきや、ベテランの小説
家で、最近話題になった本に「口訳古事記」
があるとのこと。この本も気になる。

「入門 山頭火」の書き出しにこのように
ある。

或る人に、
「山頭火というその名前は有名だから
もちろん知っている。自由律俳句の人という
ことも、それから僧形で各地を旅をして
回った人ということも国語の授業で習った
ような気がする。
しかしその詩をじっくり味わって読んだ
ことがない。その人のことも何も知ら
ない。」
と言ったところ、
「物書きの看板を上げておきながら山頭火も
知らないでどうする。世の中をなめている
のか。」(一部省略)
と言われた。

町田康「入門 山頭火」p6

山頭火とはそれほどの人ということだろう。

そして、山頭火の生い立ちから始まり、
なぜ行乞流転をすることになったのかを
追う。

たくさんの句友、親友に囲まれて、
特に6つ年下なのに、もはや山頭火の親代
わりといえるほど、山頭火の面倒を見続け
た木村緑平(※)がいなければ、もっと早く
に山頭火は死んでいたのかもしれないと
思う。

ふと、この山頭火と木村緑平の関係は、
どこかで、他にもあった気がしていたら、

そうか、ゴッホと弟のテオの関係に似て
いると思った。

少し違うかもしれないけど、
詩人の中原中也と小林秀雄の関係も近い
だろうか。

僕からみれば羨ましいともいえるこの人は、
どうしようもない、制御不可能な、
我執に翻弄され、
流転するしかなかった、

というのが本の結論であった。
少なくても僕はそう読んだ。

名句というのは、

僕などがいうまでもなく、
解説も、説明も、何も必要がなく、

ストンと、こころに落ちてくる。

これが生み出せる人は、
天才というしかない。

以下は、
僕のこころに落ちてきた句。
人によって、
こころに落ちる句は違うだろう。

(1926) 分け入っても分け入っても青い山
(1927) まっすぐな道でさみしい
(1930) どうしようもないわたしが歩いている
(1931) うしろ姿のしぐれてゆくか

町田康「入門 山頭火」本文掲載俳句索引より抜粋。カッコ内は初出掲載年

山頭火は、1940年に57歳で亡くなっている。

生涯酒を愛し、酒に纏わる失敗ばかりして
いて、それでも、友人たちから愛されて、
木村緑平のような生涯の親友に迷惑ばかり
かけていた。

自分の弱い部分を隠そうともせず、周りに
頼ることを当然のようにして、無一文の
自分を心配してくださいと平気でいう。

一方、この人は俳句の世界では第一人者で
自由律俳句を完成させた、すごい人だ。

こんな人がすぐそばにいたら僕も心配して
しまうだろう。そして理解できないに違い
ない。

ひとところで落ち着ければ、
安定した暮らしを手に入れることなど難し
いとは思えないのに、なぜこうも苦しんで
ばかりいるのか。

自ら好んで、そうしているようにしか
見えないが、
人というのは、他人のことは簡単に
そういえるのだが、

自分のこととなると、まるで、
分かっていないものだ。

だから山頭火の句が、
こころに沁みるのだろう。


木村緑平(きむら・りょくへい)
医師。1888年~1968年。
長崎医専卒。山頭火の経済的、精神的な
援助者。
山頭火は書き綴った日記を託している。

町田康「入門 山頭火」p185

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