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短編小説 矢印の旅
だいぶん昔のことだ。その頃、付き合って
いた女性がいた。彼女は少し変わった
ところがあって、デートで食事が終わった後
タバコを吸ってると決まってこういうのだ。
「何かお話しを聞かせてくれる?」
僕は付き合った女性が多いわけではない
がデートの最中にお話しをせがんでくる女性
はあまりいない。
僕は売れない物書きのような仕事をして
いたから、即興で物語を創るのは好きだ。
だから彼女に話を聞かせるのは楽しい。
彼女は話を聞いた後の感想をいうわけでは
ないが、
「今日も面白い話しが聞けた」という風に
満足気なのだ。
売りれない物書きの僕にとって、目の前に
僕の愛読者(愛聴者?)がいることは
嬉しい事だった。
この関係性が心地よくて僕は彼女と付き
合っていたのかもしれない。
僕は吸っていたタバコの火を灰皿で消した
後、もう一本、別のタバコを取り出して火
を点けた。このタバコの火が消えるまでに
話を終えるのが僕たちのルールだった。
*
ある時期、僕はバイクでツーリングに
出かけることが好きで、一人であちこちへ
よく出掛けていた。宿泊場所は旅館や
ホテルは料金が高いので、晴れていれば、
ソロキャンプをしていたけれど、その日は
朝からずっと雨だったので、屋根のある
場所に泊まりたいと思い、ユースホステル
に泊ることにした。主に若くて僕のように
お金のない旅行者用に格安で宿泊できる
場所を提供してくれる施設だ。相部屋で
食事はセルフ式だ。その日僕が泊まった
施設は、受付で枕カバーとシーツを貸して
くれて、寝る時には布団を敷いて、自分で
枕カバーとシーツをつけるというところ
だった。
同じ部屋に真っ黒に日焼けした20代~
30代の若い男がいた。見ると、
足の指まで日焼けしていて、サンダルを
履いてるのか、親指の付け根だけが
白かった。あいさつをしつつ、サンダル君
を観察していると、サンダル君が僕に話し
かけてきた。
「僕は自転車で日本を周ってるんです。
本当は大学生なんですが、全然行ってない
んです。大学の夏休みに自転車での旅行を
思い立ってからずっと自転車で周ってます。
お金がなくなると、アルバイトをして
お金がある程度貯まったら、旅の続きを
しています。」
「それは羨ましいね。この後はどこに
いくんだい?」
「さあ、僕にも分かりません。明日に
なれば分かるでしょう。」
僕は何か腑に落ちないものを感じた。
大学に行くのも止めて旅行三昧はいい
として、何かしらの目的や行くあては
あるものだろうと思っていたからだ。
なぜ明日になれば分かるのかも不思議
だった。
「邪魔じゃなければ、君の行先が決まる
まで、一緒に旅していいかな?」
「ええ、別にいいですけど、お時間は
大丈夫なのですか?」
その頃の僕は失業していたから、
時間などいくらでもあった。
この大学生と立場的にはあまり変わらない。
*
サンダル君と一緒に旅してすぐに分かった
のだが、彼は行き先などまるで分って
いなかった。まるでデタラメなのだ。
道にある標識や看板など、それらが示す
行き先の矢印。
その矢印に従って旅を続けているという
のだ。僕はどうしてそんなことを始めた
のかと聞いてみた。
「理由なんてないんです。ある日、目が
覚めたら、大学に行くのが急に嫌になった
んです。何かしたいことがあるわけでも
ない。けれどもこのままではいけないと
思ったんです。
そのとき部屋に貼ってあったポスターを
ふと見たんです。
それは何かの映画のワンシーンで、
古道具屋で見つけたポスターでした。
何となく気に入って、部屋に貼っていた
のですが、毎日見ていたそのポスターの
意味が、このとき分かったんです。
そのポスターはアメリカの西部辺りの
風景に道路標識があるだけのもので、
ただ矢印が左に指しているだけでした。
そのポスターの矢印は僕のアパートの
玄関の方向を指していました。
毎日毎日ポスターは僕に語りかけていた
のです。『進め』と。
それから僕は矢印を探して、その方向に
向かって旅しています。
もう2年になりますかね。」
サンダル君と一緒に矢印の旅を続けるよう
になって何日か過ぎた頃、看板の矢印を
辿っていたらフェリー乗り場に着いた。
このフェリーは四国にいくらしい。
特にシーズンでもないし平日なので、
予約なしでもチケットを買うことが出来た。
待合室で仮眠をとる。出発は夜23時だ。
フェリーが到着すると僕たちは自転車と
バイクでフェリーに乗り込む。
2等客室はいわゆる雑魚寝だ。ガラガラ
なので適当に場所を確保する。
まずはお風呂にいく。フェリーというのは
僕たちのような旅行者はあまり相手にして
いない。どちらかというと長距離トラック
がメイン客だ。だからお風呂場はトラック
の運転手らしきガタイのよい人がたくさん
いる。僕は申し訳なさそうに、隅っこで
身体を洗い、湯船に浸かる。
サンダル君はというとまったく気にせず
堂々としたものだ。
風呂から上がると夕食だが、このフェリー
には食堂らしきものがない。
代わりにサービスエリアなどでよく見る
自動販売機が並んでいる。
僕が待合室で仮眠をとっているときに、
サンダル君が近くのコンビニでお弁当や
お茶を買ってきていた理由がここにあった。
確かにこれならコンビニ弁当の方が
いいかもしれない。量が少ないのだ。
僕は仕方なく、自販機で適当に買い、
適当に食事を済ませた。
フェリーが揺れる中で眠るのは、
なかなか厳しい。僕が困っていると、
旅慣れたサンダル君が酔い止め薬を僕に
くれた。飲むとよく眠れるとのこと。
翌日、真っ青な空の下で、真っ青な海の上
をフェリーが進んでいた。
陸など何処にも見えない。
お昼を過ぎてしばらくたった頃に、下船の
アナウンスが流れる。もうすぐ着くらしい。
僕たちは自転車とバイクが置いてある
駐車場へと下りて行った。
*
僕たちは駐車場でフェリーが着くのを待機
していた。隣を見ると二十歳くらいの
女の子が原付にまたがっていた。
僕はこの女の子に見覚えがあった。
そうだ。2等客室で隅の方にいた女の子だ。
僕は女の子に声をかけるようなタイプでは
ない。一人でいたので珍しいと思い記憶に
残っていた。その子が僕に話し掛けてきた。
「いいバイクですね。私バイクが好き
なんです。これからどちらに行かれるの
ですか?」
思っても見ない質問にどぎまぎする僕。
「○○の方に行こうと思っています。」
「私はこれから実家に帰るんです。
たまにはいいかと思ってフェリーに乗って
みたんですよね。すごくのんびりして、
満喫できました。」
話しているうちに、フェリーが港に着き、
橋桁が下りてゆく。
「お話しできて楽しかったです。
気を付けて旅してくださいね。」
そう言って彼女は原付バイクを走らせて
いった。僕はその姿を見送っていた。
ふとサンダル君を見ると、僕の方を
見ていた。
「なんだよ。」
「いや、いいなと思いましてね。もっと
お話しすればいいじゃないですか。
どうみても彼女はあなたに好意をもって
いましたよ。」
「そうかなあ。」
「そうですよ。女心が分からない人
ですね。」
その通り。
僕は女心というものが分からない。
それに。。。まあいいか。
「そんなことより、これから
どうするんだ。」
僕たちはこれからどこに行くのか、
まだ決めていなかった。
「そういえば、彼女にはどこに行くって
言っていたのですか?よく聞こえなかった
ので。」
「僕も覚えてないんだよな。慌てて適当に
ごまかした気がする。」
「そうですか。もしかしたら、彼女に
会えるかも。」
「えっ。」
僕は真剣に考えるが、どうしても思い出せ
ない。
「まあ、いいでしょう。
縁があればまた会えますよ。会えなければ
それまでの人ということです。」
サンダル君はときどき人生哲学じみたこと
をいう。
「そういえば、君は彼女とかいないのか?」
「いるように見えますか?」
まあそうだな。いたら矢印の旅など
しないか。
「でもさ。彼女がいたら、矢印の旅を
しないなんて、なんだかおかしくない
だろうか。」
「そうですねえ。僕もそんな気がします。
この旅は自分探しの旅なんですが、
目的地なんてどうでもいいんです。
僕は気が済むまで旅をする。
そしていろんな人と出会う。
あなたにも出会った。そして一緒に旅を
している。こんなことって、普通では
ないことですよね。」
まさにその通り。
僕もこの旅は気に入っている。
それでもいつか別れは来るのだ。
それが人生だ。
*
僕はサンダル君と一緒に旅をしていて、
いろんなことを思い出した。
僕の選んだ道。
それは時折、矢印のようなものがあった。
その矢印に従っていれば安心して進めた。
けれどもそれが正しいかというと、
そうでもない。
これまでの自分を振り返ってみて、
あの時の判断や、
あの時の選択が間違っていたとは思わない。
けれども、今の状況から考えて、
どこかで選択や判断を間違えたのかも
しれないと思うことはある。
けれどもそれは、後だから言えることだ。
”最中”の自分にはそんな余裕などない。
人はいう。
「そんなことになったのはお前の性格の
せいだ。」
こうもいう。
「そんなことになったのは自業自得だ。」
果たしてそうだろうか。
傍目から見て、どんなに悲惨な状況にいた
としても、自分が納得していれば、
それはそれでいいはずだ。
誰かの為に生きるよりも、
自分の為に生きることが大切だ。
*
矢印の行きつく場所は、
きっと見つからないだろう。
それはきっと、どこかにあるものではなく、
彼が納得した場所が行きつく場所なのだ。
僕たちにも見えない矢印のようなものが
たくさんある。その矢印に従ったつもりでも、
どこかで見失う。
そこから先は自分で探さなければならない。
その時期が早いか、遅いか、
ただそれだけだ。
*
吸い終わったタバコを灰皿に押し付ける。
タバコ一本の時間なんてこんなものだ。
今日のお話しの出来はまあまあだろうか。
すると、珍しく彼女が感想を言ってくれた。
「面白いお話しね。矢印を訪ねて旅をするなんて、
ロマンティックだわ。私もしてみたい。
ねえ、知ってる?」
「なにがだい?」
「私バイクが好きなの。これって意味わかる?」
まさに僕には縁があったということだろうか。