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本屋さんのことと仙台の記憶にない塩川書店とヤクザが喧嘩していた五橋の記憶



最近は本屋さんがどんどん閉店している。私の住むあたりでも、駅ビルにいかないと本屋さんがなくなってしまった。

その駅ビルの本屋さんもリニューアルを繰り返して、本の在庫が減って、文房具とかスナック菓子とか、イヤホン等のデジタルアクセサリ売り場が広くなっている。

図書館の雑誌コーナーに行くと、最新号の代わりに、この雑誌は休刊しました、という札が置いてあるスペースが、多くなってきた。雑誌もどんどんなくなっているのだ。

紙の本(雑誌)は、これまでのような、誰もが手に取れるものでは、もうダメなんだろうなと思う。CDのボックスセットみたいな、お金のあるマニア相手の豪華本みたいになっていくしかないのだろうか……。

欲しい本は、単行本でも文庫本でも、出た時に買っておかないと、その後は、すぐに店頭で見かけなくなる。本屋さんで注文すると、4日から15日くらいかかるが、ネットで注文すると、次の日には家に届く。

セレクト書店という本屋さんも出来てきた。でもそこで売っている本は、大抵、ジュンク堂で探せ、ほぼ売っていたりする。

棚貸しのシェア型書店も出現してきているが、場所を提供している大家さんが、棚のレンタル代という家賃収入で成り立っている商売なわけで、なんか不動産業みたいで、本の売買で成り立つ商売でないようだ。

本屋さんの将来は、暗い。そして私にはなんのアイディアも浮かばない。

塩川書店という仙台の本屋さんが閉店したのだそうだ。

閉店当日のドキュメント動画があった。
  ↓
「震災直後、100人以上の子どもたちを勇気づけた 伝説のジャンプが生まれた書店、最後の日【ドキュメンタリーLastDay】」


塩川書店は、いわゆる町の本屋さんだ。2011年の震災の時には、1冊だけの少年ジャンプを、みんなで読めるようにして、話題になった本屋さんだ。

この話題は私も知っていた。でも、その本屋さんが五橋にあるとは気が付かなかった。

私は、1980年代の前半に仙台の五橋の近くに住んでいた。本と本屋が好きで、本屋巡りもよくやっていた。が、塩川書店の記憶はない。

仙台の本屋さんというと、しばらく前に、金港堂本店が閉店した。そのことについて私も文章を書いた。自分の書いた文章だけど、何を書いたのか忘れてしまった。


五橋と言うと、東二番丁通りと愛宕上杉通りの間の五橋通りの面に「五橋書店」というのがあった。その左奥に五橋旅館というのがあって、この旅館で私は時々バイトをしていた。

中庭もあって、昔はちゃんとした日本旅館だったが、その当時は、修学旅行とか、体育大会等の試合にやって来た団体専門の旅館だった。

って、今地図見ながら、通りの名前を確認している。住んでいた当時は、町名はわかっていたが、道路の名前は、ほとんど知らなかった。

地図を見ると、塩川書店は、東二番丁通りより一本、西側の田町通り(奥州街道?)側にある。この道も、昔、よく通っていた。

私の記憶にある塩川書店の辺りは、道に面して何かの店になっていたが、住宅があり、舗装されていない車置き場があった、というものだ。店と言っても、商店というより工務店のようなものだ。

田町通りの両側には飲食店もいくつかあったかもしれない。当時ですら、昭和30年代、40年代くらいは商店街だったのだけど、今はもう寂れてしまった、といった感じの通りだった。

はっきり憶えているのは、「萬葉堂」という、ウナギの寝床みたいに細長い古本屋が一軒、あったことだ。塩川書店が示されている場所よりは、大分、南寄りで、通りの反対側にあった。

「萬葉堂」は、現在は郊外に移転して巨大な在庫を抱える古書店になっているようだ。


そもそも私のは40年も前の記憶だから、現在の地図とはだいぶ違っている。東七番丁の方にある東北学院大学五橋キャンパスってなんだ? ここには以前は、市民病院だか市立病院があったはずだ。

病院と言ったら、東二番丁通り左側には、日赤病院があった。木造だった。でもこれはすぐに引っ越していって、通りの反対側に市民病院が出来たのだった。

日赤病院が移転したのが1980年で、市民病院が出来たのがその翌年くらいだと思う。情報が古すぎる……。

全国の古本屋を中心にレポートしているサイトを発見した。そこに塩川書店のことも出ていた。

  ↑ これを読むと、塩川書店は、河原町から始まって、五橋にはあとから開店したと読めなくもない。だから、私が住んでいた当時にはまだなかったので、私が知らないのかもしれない。


こっから先は、本屋さんとは関係のない、ジジイの与太バナシになる。

田町通りと五橋通りの交差する左手前角には、その昔は銭湯があった。入浴料200円くらいの頃だ。その向かいには、五橋パンションという、学生向けのワンルームマンションみたいのがあった。

風呂なしトイレ共同の、でも7、8階建てのビルで、一階には食堂のような定食屋があった。380円くらいからメニューがあったと思う。

住居の各部屋は、四畳半程度のワンルームで、小さなキッチンとベッドが備え付けだった。五橋パンションには、何人も友人が住んでいた。

ある時、私は五橋パンションから自分のアパートに帰るために、田町通りを土樋方面に向かって歩いていた。夜中で、冬だった。

すると右側に、男が二人いて、もみ合っていた。

ちょうど地図にある塩川書店の辺りだ。

結構なオヤジ同士だった。一人が上半身裸だったので、すごく目立った。夜中だったが、雪明りもあったし、意外に明るかった。

上半身裸のオヤジが殴られて地面に転がった。路面は根雪で固まっていたから、ずいぶん冷たそうだった。

転がったオヤジは太っていて、体からは湯気が出ていた。色は入っていなかったが、筋彫りの刺青が見えた。殴った方の男は、何かののしっていた。

私は怖いので通りの反対側を足早に通り過ぎた。

ちょっと歩いたところで、後ろからすごい叫び声が聞こえてきた。

振り返えると、私のすぐ後ろを、男が走って来ていた。

殴った方の男だ。

その後ろから、上半身裸の男が追いかけてきた。

上半身裸の男の右手には、日本刀みたいなのがあって、それを振り回していた。匕首みたいな短いものではなく、結構な長さがあった。

叫び声は、追いかけている男が出していた。

「俺はこれでも〇〇〇〇家(や)の〇〇だぞう~」という声が聞こえてきた。

私も慌てて走り出した。

今で言ったら、一方通行にしかならない細い道だ。隠れるところなんてない。

全力で逃げた。

あとのことは記憶にない。
どうにか逃げたのだと思う。

翌日だかに、当時住んでいたアパートの大家さんに「〇〇〇〇家(や)」というのは何なのか聞いたら、地元のヤクザだと教えてくれた。暴力団みたいなのとは違って、昔から、お祭りや縁日のテキヤをまとめている、とのことだった。

いまネットで調べてみたら、ウィキにも載っていて、吃驚した。的屋系暴力団で、指定暴力団・住吉会の2次団体とあった。

そんな組織がまだ続いていることに驚いたし、やけに詳細な情報がウィキに載っていることにも驚いた。

暴力団が続いているのなら、本屋さんはもっと続いていいと思った。

なんだか腹が立ってきた。

我ながら単純な感情だ。






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