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本は本自身の人生を生きる
母校から同窓会報と大学通信が届いた。年に一回この季節に届く。
若い学生さんたちや教職員の方の記事を読み今の大学の雰囲気を感じたり、懐かしい商店街の風景を知ることができたりして楽しい。
そして、物故会員のページに歴史の先生のお名前を見つけてご冥福を祈る。
大学通信の中に、大学近くの本屋さんを何軒か紹介した記事があった。
そのなかに、ある書店さんの本への思いとしてこんな一文があった。
本は、はじめから読まなくてもいい。読み終えなくてもいい。たくさん読まなくていい。同じ本を何度読んでもいい。持っているだけでもいい。思い出すだけでもいい。読まなくてもいい。
本を読むとき、なぜか少し構えてしまうときがあるが、そうだ、好きに読んでいいんだ。最後まで読まなきゃ、と頑張ったり、読めなくて自信を失ったり、読んでないことを恥じたりしなくても全然いいんだ。
本との関係はもっと自由であっていい。そうだ。ここまででも十分いい。そしてさらにそのあと。
本は本自身の人生を生きながら、きっとあなたと出会う瞬間を待っている。
こう言われると、
「そっかあ、本は本で、自分の人生を生きているんだ。じゃあ、いいね。」
と思える。
積読の本は、その本の人生を歩んでいるだけで、決して「お前全然読み始めないよな」とプレッシャーを与えてきているわけではない。
本もそうだし、自分のまわりの人たちもそう。
みんな自分の人生を生きている。それだけ。
だから私も私の人生を生きる。
良い出会いがあるといいな、と楽しみに生きる。
そうやって過ごしていると余計なことに干渉したり、悩んだりすることも減るのかもしれない。
奈良に行く機会を得たら、ぜひ本屋itoitoさんを訪れてみたい。