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猫と付き合う

 今日は在宅の仕事の日なので、朝のんびりとリビングでうとうとしていた。そして、横を見たら、猫がいた。

 猫とはこういうやつだ。こっちが気を緩めていると、しらないうちにそばにきている。

 うちに猫が来てから、3年ほどになる。保護猫カフェで出会った1歳の雄猫を迎えたのは夏だった。今は隣で昼寝をする猫だが、この3年間、彼との苦闘があった。

 まず最初は、ケージに入らない問題。
 保護猫カフェのオーナーからは、「夜はケージに入れるように」とかなり念押しされた。「もし災害があれば、狭いところで生活することになるからそれに慣れるため」と言われ、猫初心者の私は「そういうものか」と思って受け入れたが、夜にエサを使ってケージに誘導することが難しすぎた。最初のうちはエサに騙されてケージに入ってくれたが、すぐに夜になるとエサをもってうろうろしだす私を警戒しだし、うまくいかなくなった。私は、しばらくしてケージに入れることをあきらめた。

 いつ起こるかわからないことのために備えることも大切だが、そのために犠牲にするものが大きすぎるとしたら、それは本末転倒、ということを学んだ。

 しばらくしてから、猫のおしっこ問題が発生した。
 トイレ以外のところでしてしまうのだ。トイレを増やしたり、掃除をまめにしたり、色々したけれど、治ったと思ったらまた再発しを繰り返した。
 これには本当に参った。トータルで1年くらい悩まされたと思う。
 だけどある日、猫の砂を変えたらぴたっと収まった。
 考えてみると、ずぼらを自覚している私が、「管理がしやすい」とうたわれている砂を使うことを手放せなかったことが敗因だった。砂はそのままで、それ以外のところであれこれしても、意味がなかった。
 素直に、猫の好みそうな砂に変えるということがなぜかその時の私にはできなかったのだ。

 自分の都合ばかり優先してはいけないということ、他人の言うことをうのみにするのではなく目の前のその猫(人)をよくみなければいけないということを学んだ。

 安心したところで、また猫のおしっこ問題が再発した。
 「なぜだ!」
 私はかなり悲しく、そして怒りすらわきつつ、また、敷物を用意したりして対策した。効かない。なんなんだろう。絶望。
 これもひょんなことであっけなく解決した。トイレに入れる猫の砂の量を倍くらいに増やしたのだ。なんだこんなことだったの?というのが正直なところ。

 慢心はいけないということ、たとえ良いものだとしても適量というものがあることを学んだ。

 こうやって書いてみると、どれもこれも、カウンセリングではよく出てくるテーマではある。
 「あなた、カウンセリングとか仕事にしてるけど、ダメダメじゃん。」と猫に言われているようだ。
 「そうですね」としか言えない感じで分が悪いけれど、河合隼雄先生はこんなふうにおっしゃっている。

一般に対決という場合、自分の長所を利用して他と対決しようとするものだが、われわれ治療者は自分の弱点を通じて対決させられることが多い。われわれは自分の弱点で勝負をするのである。

河合隼雄『日本人と心理療法』講談社+α文庫,1999.


 私に、自分の弱点を自覚させ、その弱点を自分なりにうまく使いながら勝負していくことを教えてくれたのは、猫さんだったのかもしれない。
 猫さん、私の訓練をしてくれてどうもありがとうございます、と感謝しなければいけない。

 そういえば、教育分析で先生から、「人間も動物であることを忘れてはいけない」と言われたことがあった。頭でっかちになりやすい私には大切な言葉だ。
 先生も猫好きでいらっしゃったな、となつかしく思い出した。

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