『SOMEWHERE』は、目に染みるほど眩しい
砂地をフェラーリがブーンと走っては消えていく。
それが何度も何度も繰り返される。
そんなオープニングをみた瞬間、この映画がすきだと思った。
『SOMEWHERE』はソフィア・コッポラ監督の作品。
映画スターのジョニーは、たくさんの女性やファンに囲まれてきらびやかな世界で暮らしていた。
しかし、離婚した妻との子どもクレオを一時的に預かることになってから、ジョニーの心に変化がおとずれるという話。
やさしい色あい、眩しい陽の光、瑞々しい空気、ゆったりと流れる時間。
ソフィア・コッポラ監督らしい映像とリズムで彩られた、キラキラ光る宝物のような作品。
この映画は、忘れていたかけがえのないものを思い出させてくれる。
そのかけがえのないものとはなんだろうか。
たとえば、娘がスケートしているところを見守ること、娘とプールで泳ぐこと、娘といっしょにゲームをすること、娘がつくった朝ごはんをたべること、娘と卓球をすること、夜に娘とアイスクリームをたべること…
ごくごく普通の日常だけれど、いつからかそんな日常は遠いものになってしまっているものだ。
働いてお金を稼いで、とにかく生産的な毎日を送らなければならないと思い込み、気づいたら自分を酷使しつづけている。
休むことがこわいし、なにも生みださない時間がこわい。
ときどき故郷に帰って家族と時間を過ごすと、かなしくてしかたなくなる人はいるだろうか。
ずっとここにいることだってできるのに、どうしてまたいつもの日常に戻らなくてはならないのだろう。
ここには穏やかな日常があるのに、誰も強制していないのに、どうしてわざわざ神経をすり減らすような日常に戻っていこうとするのだろう。
ほんとうは、安全なところに、安心できる温かいところに、帰りたくてしかたないというのに。
ジョニーは、映画の冒頭から虚しさを感じていたのだが、最後に自分の本心に気づく。
こんな日常にはもううんざりだ、もっと娘との時間を大切にしたい、と。
そして、すべてを投げ出すのだ。
人はいつだって、選択をすることができる。
でもそのためには、選択肢の存在に気づかなくてはならない。
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SOMEWHERE
ソフィア・コッポラ
2010年/カラー/98分