君は友達
今も時々思っては、どうして先に死んじゃったんだろう…と虚しくなるよ。
元カレから君が亡くなったって聞いた時には、本当に信じられなかった。
だって、ほんの2週間前、物凄く暑い中、汗だくになって家まで会いに来てくれて、膵臓癌の僕を励ましてくれたばっかりだったし、「秋になったらまた遊びに来るよ」って言ってくれたじゃないか。
だから、「どこのMろうが亡くなったの?」って聞き返しちゃったよ。
君以外の「Mろう」は、僕の友達には勿論、知り合いにも一人もいないけれど、それくらい信じられなかった。
最後に家で会った時に「君との事をTwitterに書いても良い?」って訊いたら、「勿論、良いよ」って言ってくれたのに、生きているうちに書けなくてごめんよ。
同い年の君の事を、すごく尊敬していたけど、それをどうやって表現したら良いのか悩んでいたら、なかなか書けなかった。
それに、まさか僕よりも先に死んじゃうとは夢にも思っていなかったしね。
ホント、どうしてだよ、順番が違うじゃん。
誰がどう考えたって、膵臓癌の僕が先に死ぬはずだったのに…。
本当はさ、悩む必要なんて無かったんだよね。 どうやって書いたって、たぶん、気持ちは伝わっていたんだと思う。
だって、僕たちは特別いつも一緒だった訳でも、物凄く仲良くしていた訳でも無いけど、何故か君は凄く慕ってくれたし、僕は同い年なのに、凄くしっかりした仕事をして信頼を得ていた君を凄く尊敬してた。
それに、ところどころでは良い時間を過ごせたし、過ごさせて貰えたとも思っているしね。
アイヌ衣装のコスプレみたいになっちゃった二風谷へのドライブや、千歳基地での航空祭、そして札幌の大道芸イベントで君が凄く大切に音楽を一緒に楽しめた事は本当に嬉しかった。
家に皆で集まって演奏の練習をした事は、僕の人生の中でも最も心に残る、楽しく素敵な、物凄く良い思い出だよ。
そういえば、東京に引っ越す時に、空港まで車で送ってくれたのも君だった。
途中、千歳で風呂にも入ったんだよなぁ。
そして、最後は、空港の保安ゲートを通過するまで見送ってくれたけど、不思議と全然寂しくはなかった。
この時の事、この前会った時に、何度も何度も言葉を探り、選びながら一生懸命に話してくれたよね。
東京の何処に住むのかも知らなかったけど、会えなくなるって感覚は全然なくて、これからもいつでも会えるっていう、不思議な感じだったってことを、君はなかなか上手く言えなくて…
何度も何度も言葉を変えながらその時の気持ちを説明してくれたけど、僕には凄くよく分かったよ。
だって、僕も同じ気持ちだったから。
べったり仲良く、いつも一緒に遊ぶような仲ではなかったけれど、何故か不思議と気持ちは近くにいるような感じだった。
だから、2021年、実に9年ぶりに北海道に行って会った時にも、久しぶりっていう感覚が全然無かった。
君が車で帯広まで迎えに来てくれて、そのまま札幌までの4時間程もドライブ。
凄く楽しかったけれど、正直、何を話したのか、なんにも覚えてないよ。
いつものように他愛のない話をしたんだろうな。
「9年も会ってないけど、どうしてた?」とか、「変わったなぁ」とかじゃなく、いつものような話だったんだと思う。
まさか、あの時のあれが君との最後のドライブになるとは思ってもみなかったけれど…。
でも、去年の夏、東京の家で君と会った時には、膵臓癌の僕には「会うのは、これが最後になるかも知れない」という気持ちがあって、だからこそ、それなりの深い話や思い出話を出来た事は、いま思うと、結果的に良かったと思う。
僕らが初めて会った頃の地下鉄車内での20数年前の古い画像を見て、その後一緒に行った極寒の大通公園でのカウントダウン・イベントについても話したよねぇ。
家に君が来てくれる直前に、なんとなく思い出して、YouTubeを検索してみたら、その時の映像があったんだよなぁ。
2000年大晦日の札幌、大通公園、坂本サトルが「僕らを待っている明日はどんな色だろう」と歌っていたんだよ。
2000年から2023年までの月日があっという間だったとは思わない。
お互いに、良い事も悪い事も大変な事もあったんだろうし、とにかく、まだギリ若かった28歳の僕らは、すっかりおじさんの50歳になっていたんだから。
出会ってから22年。
まさか、君が膵臓癌の僕よりも先に、永遠に年を取らなくなる存在になるとは思わなかったよ。
今、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
君はあんなに僕のことを励ましてくれたのに、僕は君が一人で苦しんでいただろう事も、そのまま亡くなっていた事も知らずにいたんだから。
なんにもしてやれなかったなぁと、無力感でいっぱいだよ。
しかも、これまた申し訳ない事に、絶対に君よりも先に死ぬんだと思っていた僕は、君の励ましのおかげで膵臓癌の手術が出来そうなんだよ。
もしもこのまま手術が出来て、その上、上手いこと回復したら、君が「一緒に行こう。そのお祭りを一緒に見てみたいよ!」と言ってくれた、今年の夏の黒石ねぷたにも行けるかも知れないんだよ。
人生、分からないにも程がある…
でも、せっかくだからね、生きられるなら生きようと思う。
今、君よりも1才長く生きた。
…あと2才?3才?どうせなら5才くらいは長く生きたいなぁというのが今の希望かな。
そう思わせてくれてありがとう。
何度も何度も「大丈夫、大丈夫」と励まし続けてくれてありがとう。
そして、君が死ぬまで、僕を友達でいさせてくれてありがとう。
勿論、僕が死ぬまで、君は友達だよ。
いや…
死んでからもずっと
「いつもそばにいるよ」の声が響き、2001年1月1日のカウントダウンで沸いた、あの大通公園からずっと、ずっと…