私が思っていた特別は特別でないんだ『下町サイキック』(吉本ばなな著)
吉本ばななさんの小説『下町サイキック』。大好きな吉本ばななさんの新刊だ。新しい本が出るとすぐに書店に買いにいく私は、今回もうきうきしながら手に取った。すぐに読むのはもったいないと思って週末までは表紙を眺めるだけにして金曜の夜から読み始めた。
読んでいると、実家の近所に住んでいた「ちこちゃん」のことを思い出した。
ちこちゃんは、実家の近くに住んでいた40代くらいの女性で、大きなうさぎのぬいぐるみを抱えながら玄関の外にある椅子に腰かけて、毎日通りを眺めていた。私が小学校から帰ってくるのを見ると「ゆきちゃん、おかえり」と声をかけてくれた。ほとんどは、ただあいさつするだけだったけれど、ときどきは、私が持っているぬいぐるみを見て「かわいいね」と言葉を交わした。ちこちゃんはいつも大きめの声で、ゆっくりと話をした。
子どもの私から見ても、ちこちゃんは少し他の大人とは違っていると思った。でも、ちょっと違うと思っただけで、ちこちゃんはちこちゃんだったし、近所の人たちも同じ気持ちだったと思う。懐かしい。
この本には、ちこちゃんのように、少し世の中からはみ出てみえる人たちが出てくる。毎日スーツを着て車の誘導をする、会話が成り立たないおじさんとか、距離が縮まったらめんどうだけれど、一定の距離を保っている分には害がない人たちがはれ物な感じではなく存在している。
主人公のキヨカちゃんは、サイキック能力を使って親戚の「友<<とも>>おじさん」の自習室を清めるアルバイトをしている。中学生であるキヨカちゃんは、周りにいる人たちを、ただ真っ直ぐな視線で観察して、そのままの形で受け入れる力がある。大人ぶって背伸びをしたりしないし、無理にわかろうともしない。その真っ直ぐさがとても気持ちいい。
キヨカちゃんと友おじさんの会話の中には、いちいち人生の道理がつまっていて、でも全然、説教くさくない。とてもシンプルな言葉で書いているけれど奥が深く、ひとつずつをかみしめながら読んでいたら、最後まで読み終わるのにとても時間がかかった。
吉本ばななさんの本、いつもは集中して一気に読み終わるのに、この本は違った。すごくおもしろいのに少し読むと眠くなるし、ぐったりと疲れる。2-3ページ読んでは本を置いて、休んだり昼寝したりしながら読み進めた。だるさはマッサージのあとの感覚に似ていた。深いところまで揉みこまれて、意識も身体も刺激を受けている感じがした。
潔く迷いのないキヨカちゃんに比べて、私は、今いる場所より別の道が良く見えて、ふらふらしてしまうクセがある。欲張りで、もっとお金が欲しいと思っている。でも、生きる上でそんな欲はまったく必要がないとキヨカちゃんも友おじさんも思っている。本当に必要ないんだと思う。
キヨカちゃんたちの暮らしを読んでいたら、私が思っているような特別は特別ではなくて、私が日常だと思っている、そのことこそ特別なんだと思った。
私が日常だと思っている、ありきたりで当たり前に思える日々こそが特別なんだと思った。
『下町サイキック』を読み終わってからずっと、私の心の中にはきれいなガラスで包まれた温かいものが残っている。それは、からだの中にスノードームがあるみたいな感じで、本の世界に何度も触れにいっては癒されている。
『下町サイキック』を読み終わってからずっと、本の中の下町が心に残っていて温かく感じる。きっとキヨカちゃんは今日も背筋をぴんと伸ばして、浮つくことなく暮らしているような気がする。読み終わったあとも、何度も本の世界を思い出しては癒されている。