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今日は支援のあり方に関する自論を語ってみよう。

今日は支援のあり方について、自論を書いてみようと思う。考えても行動に移すことはとても難しいが、最近ようやく少しずつできるようになってきた気がする。

僕は仕事がとても好き。就職して初めて利用者さんに「ありがとう」と言われた時は、嬉しくもあり、怖さも感じた。
ありがとうと言われるほどの何かが本当に提供できたのかとても疑問に思った。

そこから、本を読んだり研修会に参加してどうすればより良いサービスを提供できるのかを学んだ。
それを積み重ねていくうちに、利用者のために勉強することは“当たり前”という固定観念が出来上がっていた。

就職した時、同期とは違う部署に配属されて、一緒に働いたのは3年目の時である。
その時知ったのが、僕は嫌われていたという衝撃的な事実であった笑。

勉強するのは当たり前じゃないの?
なんでもっと勉強しないのか?
そんな介入して本当に意味あるの?

直接伝えたことはなかったが、きっと高圧的な態度だったのでないかと思う。
この時、初めて、自分とは違う価値観で働いている人もいるんだという現実を知った。

それからは、利用者のためのどうすればより良く協働できるのだろうか?と意識するようになった。

逆に言うと、他人の目や想いを気にしすぎて、自分の思うことを実践するのが難しくなってきた時期でもある。

それから1年して介護施設へ転職をした。
そこでは2年間働いた。
リハビリ職は施設に僕1人しかいない職場だった。
それでもどうすれば、より良いケアを利用者に届けることが出来るだろうかと考えた。
僕は1人なので、介護職と協働するしかなかった。
だから、自分が前面に出るのではなく、介護の中にリハビリ的な取り組みがどう自然な形で入っていけるだらうかと意識をしていた。
このやり方は間違いではないし、とても大切だと思う。
しかし今振り返ると、課題があるのならもっと自分が率先してリーダーシップをとっていくという方法もやって良かったのではないかと後悔している。

勝手に「僕がやることではない」と仕事の範囲を制限をしていたのかもしれない。
他の人から非難されることが怖かったのかもしれません。

また、転職をして地元の三原市で現在介護の仕事をしている。ほぼ同時期に株式会社TRAPEというところでもインターンシップで関わらさせてもらうようになった。

僕はどこか綺麗に仕事をさばくことをしようとしていた。そして、知らないことを聞くのにとても抵抗感があった。

昨年、社長に言われたことが今でも忘れられない。
「もっと泥臭いことをしようよ。本気で向き合っているかな?」というニュアンスを言われたように思う。

僕は過去に同僚に嫌われたという経験もあり、どうしても自分を出せなかったり、どこかで自分に制限をかけることが癖になってしまっていたのだろう。

社長にその言葉をかけてもらい、当時の自分にグサッと刺さって消化しきれず夜中に走りに行ったのを覚えている(久々に走ったので後日、膝が痛くなってしまった笑)。

それ依頼、意識に意識を重ねて少しずつではあるが変わってきているのではないかと思う。

ただ、介護という仕組みには、さまざまなステークホルダーがいる。
本人、家族、同じ施設の介護職、違う施設の介護職、職場の上司、ケアマネ、リハビリ、看護、医師、、、、

機能分化が進めば進むほど、「これは私の仕事ではなく、ここからは〇〇職種の仕事だね」と制限をかけてしまう。

今、必要とされている人材はこの制限を突破できる人だと思う。

僕も今でも上司からは、「これはデイサービスの仕事ではないよね。ケアマネさんだよね。」と言われることがある。

教科書的にはそうかもしれない。
じゃあケアマネさんはこちらの意図したとおりに動いて頂けるのか?本当に解決してくれるのか?ということは考えないといけない。

もし、問題に直面している自分が問題解決の糸口が見えているなら、自分が動くべきではないだろうか?他の職種のご機嫌とりをしている時間なんてないんです。

ただ、僕が数年前に嫌われて学んだように、皆さん様々な価値観を持って働いていらっしゃるのは事実である。
ご機嫌とりする必要はないが配慮する必要はあると思う。

「僕は〇〇さんに対して必要なことは、〇〇だと思うんです。自分が動いても良いですか?」と一報入れれば良いだけの話である。

ステークホルダーと協働するというイメージが大切なのだと思う。

先日から利用者の命に関わる問題が生じている。その兼ね合いで精神科の病院へ受診をすることになった。利用者本人と子供の2人暮らしで、家族はとても疲弊していてどうすれば良いんだと悩まれている。

課題を整理すると、薬の問題が大きく関与しているのではないかと仮説をもっている。
そのため今回の病院受診は大きな意味を持つと考えている。
家族に薬の知識や病気の知識はなく、医師との意思疎通が難しいことが想像される。
そして、何より家族は1人で戦っていてとても孤独な状況ではないかと思う。
どうにか、我々と一緒に戦っているんだという協働の立ち位置に持っていけないかと思っている。

この2つの問題を解決するために、受診に同行するという選択肢をとった。

病院受診に同行することは、普通のデイサービスならやらないであろう。
一度、問題を先延ばしにして、亡くなってしまった利用者がいる。
もう後悔したくない。

病院受診に同行して、何か変わるかは分からない。
だけど、少しでも可能性があるのに、行動しなかったらきっと後から自分を責めるだろう。

多職種を尊重することは本当に大切だ。
しかし、その結果利用者に害が及ぶなら多職種連携という幻想である。

何が本当に大切なのか?

本質を見失わないように、これからも仕事をしていきたい。

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