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東京に行ったら宇宙視点を得た話

8月に入って最初の週末に、宅浪(自宅で浪人)息子の付き添いで東京へ行ってきた。
大学のオープンキャンパスに行きたいと3月4月ごろから何度も何度も聞かされていたからだ。

3月4月ごろの私は、仕事を辞めるなんて思っておらず、旅の予約をする一ヶ月前、ちょうど仕事を辞めた頃のお財布事情はキツキツの状況で、
ましてや本当のわたしは休みたい、と訴えてたもんだから
これからの収入のめどなども全く無い状況である。

かなり、、、、、、、、迷った。

こんな状況下で東京へ行くことへの非難の声
(何考えてんの?by思考)
しかも日程が3泊4日と結構しっかりあるやん
(ながっ!)
複数校まわる、かつ学部によっては同じ大学でも別日とか。(知らんがな)

一人で行ってきたら?練習やと思ってさ。。。
(ムリ、こわいby息子)
はーーーーーぁ?
住みたいんとちゃうの?他諸々…

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結局、二人で行くという決断をし、どのパッケージが一番お得か計算しまくって、予約をした。

決断に至った理由。

その1.行かせてあげたい、母心。
その2.なんとかなる、精神。
その3.なにより、状況はどうあれ、
エイヤーと思い切って舵を切るほうが、わたしらしい。     

行かなかった後悔を考えると、行かない選択はなかった。
結局はお金に対する未来への不安の思考に捕まれているだけだと気づいた。

そのことを、飛行機に乗って窓から外の景色を見ている時にも感じた。
雲が一面に広がる景色を見て、
わたし、飛行機乗ってるやん。
現実はどうであっても全然関係なくて
自分が望めば、いつだってどこにだって行きたいところに行ける。
〇〇に行きたい→調べる→費用がいる→工面する方法を考える
(貯めるとか借りるとか現地で働くとか)→日程の段取りを決める
(家族の問題とか休みの調整とか問題が出てくるが行ける視点で考える)
→出発する。

素直に望んで、望みに対して一つずつ行動していけば叶う。
だけど自分の含め多くの人は、その望みが現実とは大きくかけ離れているほど、どうせ無理とか、結果を気にして、動けずにいるのでは。
(自分に言って聞かせてます)

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旅の間に一人になる時間が持てたこともあって、ホテルで気になっていた映画をみたり、ドキュメンタリーを見たりして自由に過ごした。
幸せな時間だった。

あらためて、わたしという意識について整理してみよう、とふと思った。

わたしという本質は意識であり、その意識はこの無限の宇宙とつながっていて、わたしはその一部、みんなそうだから、すれ違う人々もわたしで
わたしはわたし、わたしという意識はひとつ
今世でこういう体験をしたいと願い、肉体と感情と五感を持っていま体験しに来ている。

それぞれがそれぞれに体験したいことをしに来ているだけで
そこにどう思われるかとか成功とか失敗とかそういうのはすべて思考の仕業

ただやりたいことをやっていけばいい

そう思えると日常生活で起こるさまざまな感情も、
宇宙からのわたし視点でみると、むしろ愛おしいとさえ思えた。

そんな無敵な感覚を身にまとって帰ってこれた。

東京という大都会の中、人々が多く行き交う所だからこそ感じ取れた感覚かもしれない。

数日経って、感覚が薄れてきていることに愕然としているけれど。。。泣


当の息子本人も満足し、スイッチが入ったようだ。


行ってよかった。







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