おいしい匂い
今から25年程前、天然酵母パンが今ほど知られていなかった頃に、街はずれのパン屋さんが天然酵母種というものを使ってパンを作っていて、それがとてもおいしいのだと結婚前の夫が教えてくれた。
たまに軽ワゴン車に焼き立てのパンをのせて家の近くまで売りにくるという。そんなおいしいパン、一度食べてみたいと思っていたら、久しぶりに売りに来たからと買っておいてくれた。
初めて見る天然酵母パンはパウンドケーキほどの小ぶりの食パンだった。パリッと焼けた皮からは香ばしい匂いがした。
トースターで焼いて、バターをのせ食べてみて驚いた。こんがり焼けた表面はザクザクと小気味の良い音をたて、ふわっとみずみずしい内側はかみしめるほどに小麦と酵母の甘味と香りを感じることができた。
その出会いがあってから、わたしは天然酵母パンのおいしさを忘れられず自分で焼くようになった。
このパンの魅力はなんといっても酵母種の香りだろう。こねる前に酵母のフタを開ければフワッと日本酒のようないい匂いがする。
そして焼き上がった時も食べた時も、酵母種の香りは小麦の香ばしさの後ろに隠れていて、どうぞ私のことはお気になさらず小麦のおいしさを味わって下さいとばかりに、決して邪魔することなく後ろの方に控えているのだが、最後にそっと恥ずかしそうに顔を出して印象深い余韻を残してくれる。
その奥ゆかしく印象深い香りに惹かれて、わたしはまたいそいそと天然酵母パンを焼くことになる。
書いていて、はたと香りと匂いの違いを考える。香りはそれだけで存在するが、匂いはそこに漂う空気や雰囲気まで含めたものを表すような気がする。そのせいか、おいしい匂いの記憶は鮮やかな映像と結びついている。
子供の頃、母が盛りを過ぎて安くなった苺を箱で買ってきては、大きな鍋でジャムを作ってくれた。
部屋には甘い苺の匂いが漂い、ガス台にかけられた大きな鍋の中では透明で赤い小さな泡が沸々としていて、見ていて飽きなかった。
できたての熱いジャムを真っ白な食パンの上にのせてもらって食べるのは格別のおいしさだった。
毎年、春になって八百屋の店先に路地ものの真っ赤な苺が並ぶ時期になると、早く安くならないかなと、学校帰りにのぞいて見たりした。
お祭りの日の客間に置かれた巻き寿司とお煮〆の匂い、縁側で食べたスイカの匂い、ストーブの上のアルミホイルに包まれた焼き芋の匂い、年末の竈の前のもち米をふかす匂いと、子供の頃はどの季節もそれぞれのおいしい匂いがあった。
今、うちでジャムを作ったりパンを焼いたりして部屋中がいい匂いに包まれると、幼い子供たちと過ごした日々がよみがえる。彼らにとってもそんな日々が、おいしい匂いの記憶となっていればうれしいと思う。
そして、これから彼らがどんなおいしい匂いと出会い、楽しい記憶を重ねてゆくのだろうと思いを馳せてみたりする。
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