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自己紹介①

こんにちは。
神楽坂発酵美人堂を主宰しています清水紫織と申します。
本日は自己紹介の回としたいと思います。お付き合いください。


プロフィール

1979年 京都府生まれ。
2015年 「神楽坂発酵美人堂」として発酵専門教室とオリジナル食品ブランドをスタート。神楽坂の古民家で教える発酵教室では延べ3,000名を超える生徒を持つ。
「丁寧な暮らしは簡単でした」をテーマに現代の忙しい生活の中でも簡単に取り入れられる発酵キットや、簡単なのに抜群に美味しいレシピで、継続しやすい発酵食を提案している。
日本で唯一の醸造科をもつ東京農業大学にて科目等履修生として3年学び、発酵の科学の面白さと伝統としての尊さを伝える活動をしている。
また「0歳からの腸活」を掲げ、都内の保育園での発酵食育にも力を注いでおりkids向けのイベントも多数参加。
著書に「発酵料理のきほん」(朝日新聞出版)など全3冊。

発酵に目覚めたきっかけ

小さい頃からアレルギーっ子

小学生の頃から気づけばアレルギーっ子でした。
当時はまだ子どもの花粉症なんて概念もなかったのですが、母も花粉症、父も花粉症という中で立派な花粉症サラブレッドとして生まれた私。
くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目の痒み、皮膚の痒み。。などなど
思い出しただけでムズムズしてくる症状のオンパレード笑。
しかも花粉だけでなく、ちょっと埃っぽい部屋に入ったり、掃除してないエアコンに吹かれたりしただけで目がかゆかゆーとなり、ボンッと腫れる。
それは皮膚にも現れて、目のきわや首や肘の内側、膝の裏側など。皮膚が薄くて柔らかい部分はすぐに赤く痒く湿疹ができやすく、アトピーと診断されステロイドを塗っていました。
なので春の花粉の時期だけ、、というわけでもなく一年中どこにでもアレルゲンが転がってるぜ!という感じでした。

治療方法はなかった

そんな幼少時代だったので母も私を病院には連れて行ったのですが、どこへ行ってもステロイドを処方されたり強いステロイド注射を薦められたり、というだけで
根本治療などを提案されたことがなかったようです。今のように色んな情報が選び取れる時代でもなかったので、ドクターがそういうならそうするしかない。と母もまた従順な花粉症患者だったわけです。

時は経ち少女は大人へ

花粉症は治ることもなく、アトピー症状はなんとなく改善していたものの(思春期になると免疫力が高まり良くなる子もいる、と言われていたらしくその通りになった例)、相変わらず過敏な体質のまま大人へなります。
すっかり自立心が育った私は、ひとりっ子がゆえの母の重めの愛情から解放されるべく、18歳になった瞬間から嬉々として一人暮らしを始めます。
仕舞っていた羽を思う存分広げ、大学生活を謳歌しながら、食生活や生活習慣は乱れに乱れ。とうとう20歳を超える頃には食物アレルギーも出るようになりました。(特定の食物を食べると唇が腫れたり痒くなったり、気道が狭く感じたりする口腔アレルギーというものでした。花粉症の人はなりやすいです。)
当時の友達だか彼氏だか忘れましたが、楽しく居酒屋で飲食中に突然唇が真っ赤に腫れ上がったのを覚えています。
でもでも私には「治る」という概念がなかったため、そして自分の生活にも原因があるとは思いもよらず、大学卒業後も不摂生を続けることになるのです。

20代はそのままアレルギーと共に

ところでその頃の私のアレルギー対処法はというと

  • 春と秋の花粉の時期は「ステロイド注射」(京都に有名な病院があった)

  • 肌が痒い時には「ステロイド軟膏」(薬局で購入)

  • それ以外の原因不明のアレルギー反応には「抗ヒスタミン剤」(薬局で購入)

すごい。
改めて見ると行き当たりばったり感がすごいです。
症状が出たらとりあえず薬で抑えるというやつですね。でも薬は飲めば症状を抑えられるし、根本根治ができないというのなら一生このようにしていくしかないと思いますよね。でもここだけの話、ステロイド注射は3回くらい打ってやめました。
すごい効き目なのです。打てばそのシーズン中、症状はほぼ出ない、ってくらい効いたのですが、注射を打った箇所(お尻)がちょっと凹んだり、生理が止まったりしたのです!さすがにこれには怖くなってやめました。後々、このステロイド注射は副作用が大きいのだと知って「肝を冷やしたぜ。。。」となったわけです。
その頃は体や薬に関して何の知識も持たず、メリットばかりに目を向けてデメリットなんてものが存在するという考えすらありませんでした。これぞ若気の至り。

30代 とつぜん目覚める

さて、今のご時世とは違って超絶ブラックだった飲食業界で働いていた20代の私は、人生で一番心身をいじめていたと言えます。
一日中座りっぱなし、または立ちっぱなし。昼ごはんを食べられない日はザラ。
挙句に夜中の2時という意味不明の時間から本社で始まる社長会議。(夜中の賄い弁当がトンカツ!)その後は六本木へ飲みに連れて行かれる。。
身体はいつもだるく、脂肪がついた身体は冷えていて、ストレスで頭皮にも湿疹。。そのストレスを解消するべく仕事終わりにはお酒、コンビニ弁当、甘いもの。。
お休みの日はとにかく全身のコリをどうにかしたくて、マッサージに通い散財していた記憶があります。
安心してください。耐えきれなくなった私は喧嘩同然で会社を辞めます笑。
そして30歳を前に独立を視野に入れ、ソムリエの資格勉強をしながら転職します。
そこで新たな出会いです。
今の夫と出会い、とんとん拍子で結婚することに。
そして運命的なことに!夫も全く同じようなアレルギー症状を持っていたのです(泣)なんということでしょう。程なく第一子を妊娠した私は気づくのです。

子どもにアレルギーが遺伝するんじゃね?

そこからです。
今まで自身のアレルギーには諦めの感情しかなかった私が

  • アレルギーって遺伝するんでしたっけ?

  • 遺伝した場合、全員が発症するんでしたっけ?

  • そもそもアレルギーって何なんでしたっけ???

子の力は大きい。
食事や教育、政治。今まで無関心だった色んなことが
一気に自分事として押し寄せてくるこの変化。
妊娠、出産を機に人は変わるのです。
この子が生まれ出てくる前に!お腹の中にいる10ヶ月の間に!!
「変えなくてはいけないことはなんだ!!!」
様々な文献、インターネットを駆使してそれはそれは調べました。
これがうまく解明されて薬以外の方法があるのならば
生まれてくる子だけでなく、私たち夫婦も長年のアレルギー生活から抜け出せる??
そこに光を見出したのです。

まさかの腸だった

それが今から15年前です。
まだ、「腸活」という言葉はなかった。
腸といえば長い長い臓器で、私たちが食べたものを消化吸収したのちに
ただ排出するため存在している器官。
そんな認識でした。
ところがです。その腸こそが人間の土台ともいえる重要な役割を持ち
その中には100兆個以上とも言われる莫大な量の「腸内細菌」が棲み、
重要な働きをしているというではありませんか。いわゆる「身体が強い」と言ってきた「免疫力」にすら腸が大きく関わっていて、過剰なアレルギー反応は免疫の暴走であると。。

驚きました。
そしてとにかく正解なのか分からないけど、
腸だというのであれば腸を超絶いたわる生活を全集中でやってやろうと!
ちょうど妊娠中はお酒も飲めないわけですし、余計な体重も増やせないわけで
いわゆる心身ともに健康的な生活が求めらる期間。
徹底した超健康生活にシフトチェンジしていくのです。

思いのほか長くなりました。
腸が大事!と知って具体的に何をしていったのか。
次の自己紹介②で書いてみたいと思います。






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