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二宮翁夜話 巻之一、第十二節 自分の足元から始めよう

自分の勉強も兼ねて、二宮翁夜話についての不定期投稿。ニワカのやることなので、読み間違いなどありましたら、ご指摘いただけると助かります。

・最初に

この節は、前回の「中庸は低いところから始めて高きに至るので、行いやすい」の続きのような話です。

・抄訳

聖人の道を、天下に行うのは難しい。
それには、才能も、力も、徳も、位も必要だからだ。

しかし、一人ひとりが道を行うには、才人がいないことも位がないことも気にすることはない。
茄子農家が上手に茄子を作るように、馬飼いが上手に馬を育てられるように、自分の身近なことについては、誰もができるはずだ。

亭主は家を斉える(整える)ことができ、家族親戚、あるいは仲間が集ってできることもある。

こうして人々が道を行い、家々が道を行い、村々が道を行うなら、国が復興しないことがあろうか?

・感想

この考え方には、当時の身分制度が反映されているように見えます。
社会全体に関わることは身分の高い人達のすることで、一般庶民は自分の生活だけ考えていればいいという価値観。
だから、民主主義社会を生きる我々とは関係がない……
とは言えません。

日本の長所と言われるものに、安全と礼儀正しさ、街の清潔さなどがあります。こうした長所は、上から与えられた徳目ではなく、普通の人々が自分の行うべきことを行っていることで成り立っています。

社会システムを決めるのは大事ですが、それをきちんと回すのは、足元をおろそかにしない人の集まりです。

遠大だったり理想的すぎたりする考えよりも、自分ができることを、足元から実行することが大事という教えでした。

なお、この考えの元は二宮金次郎像が読んでいることで有名な「大学」の「修身・斉家・治国・平天下」だと思われます。

・原文

翁曰(いわく)、道の行はるるや難(カタ)し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力なき時は行はれず、其才その力ありといへども、其徳なければ又行れず、其徳ありといへども、その位(くらい)なき時は又行れず、然れども是は是大道を国天下に行ふの事なり、 その難き勿論なり、 然れば何ぞ此人なきを憂へんや、何ぞ其位(クラヰ)なきを憂(ウレヘ)んや、茄子(ナス)をならするは茄子作り能(ヨク)すべし、馬を肥(コヤ)すは馬士(マゴ)能(よく)すべし、一家を斉(トヽノ)ふるは亭主能(よく)すべし、 或(アルイ)は兄弟親戚 相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし、人々此道を尽し、家々此道を行ひ、村々此道を行はヾ、豈(アニ)国家興復せざる事あらんや     

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