あなたも誰かの大切なひと
十分の一のわたし
この文章を読んでくれているあなた、友達はたくさんいますか。
私は片手に収まるくらい。
親友、だといってくれたひとがいる。そんな彼女は交友関係も広く、友人も多い。
私にとって、彼女は三分の一の大切なひと。けれども、彼女にとって私は十分の一の価値。
分母の大きさで、わたしの価値が変わるわけではないと思いたい。
でも、だからこそ相対的な価値なんかじゃなく、絶対的な私でありたいと思う。
出会うこと、別れること
卒業、進学、就職、結婚、出産。
ライフステージの変化と共に、人と出会い、別れる。
水流が自然と分かれていくように、私たちのご縁もまた、近付いたり離れたりする。
私のことなんて、新しい誰かとの出会いで忘れさられてしまうんだろうな、と常日頃から思っていたりする。
私にとっての大切なひとが、私のことを大切だと思っていてほしい。
けれども、私がいくら大切だと思っていたとしても、相手も同じように思ってくれている保証なんてない。
それが恋だとしたら尚更。
血縁という繋がり
その点、家族のような血の繋がりは簡単に切れるものではないと思う。
「一生一緒」
この言葉がぴったりで、鬱陶しくもあり、温かくもある繋がり。
それは、魔法にもなるし呪縛にもなる。
だけどたぶんみんながほしいのは目には見えない「心の繋がり」
それは目に見えないから、心には触れられないから、曖昧で頼りない細い糸のようで。
ある方とのいちごつみで生まれた短歌。
果てしなく続くように思える桜並木にも終わりがあって、出会うことは別れることと表裏一体であることを示唆している。
大切なひと
私は誰かにとっての大切なひとで、あなたも、あなたも、誰かにとっての大切なひと。
そんな眼差しを向けることができたら、誰に対しても優しくあれるように思う。
大切なひとの、大切なひとになりたい。
今は遠く離れていても、共に過ごした時間が記憶の中で生き続けているから。
最後に
これまで、「さよなら青春」という名義で短歌や詩の投稿をしていました。
小説や詩を書かれている方は、記憶に焼き付くような綺麗な筆名を持たれている方が多い印象があります。けれども私が飽きっぽいのか、長く共にできそうな筆名を見つけられないまま、現在に至ります。
儚 青(はかない あお)は好きな漢字と全体の印象、姓名判断で決めた筆名です。
これが最後の筆名になることを祈っています。