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朝の儀式、行きしぶりから学んだそれぞれのスタイル
平日の朝、わたしと息子の間で、ある儀式が行われます。
まあ、儀式というほど、おおげさなことではないのですが……。
それは、わたしが息子にくつ下をはかせること。
小学5年生の子が母親にくつ下をはかせてもらっているというと、マザコンだとか、過保護だとか思われるかもしれません。実際、こどもを産み、育てる前のわたしならそう思っていたでしょう。
でも今は、おかしいとはまったく思っていません。
なぜなら、そこには理由があるからです。
儀式が始まるまでの経緯
わが家は、夫もわたしも自分が3年保育であったため、なんの考えもなくこどもたちも当然のように3年保育にしました。
でも、3歳まで家庭で不自由なく育った子にとって、保育園に通うのは結構つらいことのようです。
たとえば喉が渇いたとき、家ではお茶やジュースを用意してもらえたのに、園では指示されたときに自分で水筒から飲むしかない。
おもちゃで遊ぶにも、園のおもちゃや絵本はみんなのモノで、動きの遅いわが子たちはすきなモノを手に取ることすらできません。
家ではわたしがほぼマンツーマンで相手をしていたのに対し、園の先生は1人で数十人の相手をしています。
1~2歳から入園し、園や先生に慣れている子に圧倒されてグズグズと泣いて過ごす日々。
当然、行きしぶりが出てきます。
ケース1 第一子・娘
娘の行きしぶり対策に使ったのは、娘専用のカレンダーでした。園の予定を書き込んだり、登園した日にハナマルをつけたりしているうちに、行くのが当たり前の場所だと思うようになったようです。
また、わたしの母と同居しているので、送り迎えに息子は連れて行かず、下園時には可能なかぎり園庭で遊んで帰りました。なかよくなりだした子の後について遊んでいるうちにともだちと過ごす楽しさを感じるようになったみたいです。
家では、まだ生後数ヶ月の弟に母をうばわれ、少しさみしさを感じだしていたのかもしれません。
そうだとすれば、申し訳ないことをしたなと思いますが、結果的に親離れが進みました。
ケース2 第二子・息子
娘の卒園と入れ替わるようにして保育園に入園した息子。娘が通う園での未就園児イベントに参加するなど、入園前から園に慣らしていたつもりでした。それでもやっぱり、ままならない園生活に行きしぶりが出ました。
息子は、三輪車が好きだったので送り迎えは三輪車にしてなんとか乗りきりました。追加で、娘に効果のあったマイカレンダーを使用。さらに、もうワンプッシュ必要になったときに始まったのが、くつ下はかせでした。
儀式となったくつ下はかせ
不器用な息子はくつ下をはくのも苦手でした。
ある朝、てこずる息子は「はかせて」と。
「母さんがはかせてあげたらニコニコと保育園に行けるかなぁ」と聞くと「うん」と返事がありました。
あまいかなと思いつつはかせて登園しました。
一度ラクをおぼえたら毎朝はかせないといけなくなります。それでも、遊びにでかけるときは自分ではけるので、はけないわけではありません。
あくまでも登園する気になるためのスイッチとしての儀式。
本当に行きたくなければはかされることすら嫌がるはずと思い、行きたくない気持ちの判断材料にもなりました。
小学校にあがってからは、わたしがくつ下を持って近づくと、はかせやすいように体勢を変えるようになりました。
これは「行くよ」の意思表示です。
いまでも息子は「行きたくない」と言います。
それでも、くつ下をはかさせてくれる。
つまり、いじめなどがあってどうしても行きたくないわけではなく、ただ単に面倒くさいし、家にいる方がラクだから行きたくないだけだということ。
それを示してくれるだけでも親としては安心して送りだせます。
儀式の行方
さて、息子も小学5年生。そろそろはかされるのを嫌がるかもしれません。実は少し、その日を楽しみにしています。自分でくつ下をはいて学校へ行く日がきたら、成長の邪魔をしないよう、わたしも子離れをしなければいけません。
「手を離して目を離さず、目を離して心を離さず」子育て中の親の心得として、どこかで聞いた言葉です。親側も、口や手を出さずグッと堪えて成長したいところです。
スタイルはそれぞれ
わが家の子育ては、他の人には過保護に見えるかもしれません。でも、それは試行錯誤の末、落ち着いたスタイルです。
このことに気づいたとき、おかしく思えていた他の家庭のやり方にもそれぞれの理由があるのだろうと考えられるようになりました。
子育てを通じて、自分が成長しているのを感じる日々、もう少し成長スピードをあげないといつかこどもに追い越されそうなゆっくりペースですが。
このnoteを書いているとき、ふと頭に浮かんだ曲がありました。
RIP SLYMEさんの『ONE』です。
一部引用します。
それぞれひとつのlife それぞれが選んだstyle
それぞれひとつのlife ひとつの愛をyeah yeah
親もこどもも、家庭もそれぞれ。
わたしが違和感をおぼえることでも、当事者にはしっくりきていることなんていくらでもある。
隣の芝生が青かろうが、赤かろうが、隣の人が納得していればそれでいい。
わたしは「赤もいいね」と言える人でいたい。