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【夢日記共有イベント】伝視頭脳-2 開催レポート 04.14.24

夢日記共有イベント〈伝視頭脳〉の第二回を主催を含む5名で行い、集まった六つの夢を参加者全員で「鑑賞」しました。
今回は予定していた会場が土壇場で使用できなくなるというトラブルがあったものの、大変ありがたいことに参加者の方々に代わりに会場に使える飲食店を見つけて頂き、なんとか予定通りの時間に開催することができました。
カフェなどは混雑する時間帯だったため居酒屋での開催となりましたが、ヘッドホンとゴーグルを着けた集団が居酒屋の席にいる光景は、それこそ夢さながらの奇怪さだったのではないでしょうか。

会のはじめに、自己紹介を兼ねて「夢を普段どのように記録しているか」というテーマでトークを行いました。
記録手段はスマホのメモ帳アプリという回答が最も多く(主催もこの方法です)、他にはSNSで自分宛てにDMを送る、付箋などに手書きでメモを残すといった方法もありました。
記録の頻度は週に数回~数か月に一回程度と、参加者によりまちまちでした。

なお、会の構成、流れなどは前回の〈伝視頭脳-1〉を踏襲しました。

(※なお、今回は画像とボイスに加え、前回にはなかったAI生成の効果音を試験的に入れました。)

夢は創作に役立つか?

今回は偶然(?)にも、文芸創作・評論等の分野に携わる方が多く参加しており(主催も趣味で小説を書いています)、その流れで「夢は創作に役立つのか」という話題が持ち上がりました。
結論から言いますと、「これまで夢が役に立ったことはない」という参加者の発言に、ほぼ全員が同調している様子でした。
明晰夢の研究で知られるスティーヴン・ラバージは、夢を見ることを毎晩詩を書く行為に喩え、次のように述べています。

あなたがつくった何十万篇もの詩はどういうものになるだろう。すべてが傑作だろうか。それは期待できない。すべてが駄作か。その可能性もまずない。おそらくは山ほどあるへぼな詩の中に、なかなかいい詩が少しあり、完璧な傑作も数篇あるだろう。

アンドレア・ロック著、伊藤和子訳『脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ』(p.285)

夢に強い関心を持つ専門家の目にも、大半の夢は面白みに欠けるものとして映るようです。

大量の「へぼな詩」が生み出されてしまうことには、睡眠中の脳の生理状態が関係していると考えられます。睡眠時の脳は集中や精神の安定を維持する神経伝達物質が抑制され、不安定で集中を欠いた状態に置かれます。そのうえ、思考に理性的な判断、批判を加える役目を果たす前頭葉の活動が低下します。この状態に置かれた脳では、起きて何かに集中している時には起こらないような方法で情報の結びつきが発生し、新しい思考の回路が形成されると考えられているのです。
起きている間も、集中を必要とする作業を行っていない時は空想をすることがありますが(「マインドワンダリング」といいます)、夢を見ている状態はこの空想の状態が拡張されたようなものであるとする説を、睡眠研究者のロバート・スティックゴールドが唱えています。

英語のネット掲示板などで目にする表現に、shower thoughtsというものがあります(Redditにも同名のsubredditがあります)。
https://parade.com/living/shower-thoughts

「シャワーを浴びている時にふと思いついたこと」といったような意味ですが、お風呂場でふいに面白い発想が湧いてくる経験に心当たりがある方は結構いらっしゃるのではないかと思います(主催もいくつかあります)。これはお風呂場に限らず、スマホを見たり読書をしたりといった作業を何もせずに、ただぼんやりしている状態であれば、どこでも起こり得ることかと思います。

「風呂場の扉の奥から、何者かの気配を感じる……人気ユーチューバーの男だ」

もちろん、ぼんやりと空想していれば必ず面白い発想が湧いてくるというものではなく、むしろ空想中の思考を強引に書き出してみるとすれば、その大半は特に面白みのない「へぼな詩」でしょう。ですが、そのように「駄作」が大量に生み出される環境を作ることではじめて、思いがけない「傑作」を生みだす機会に恵まれるのです。スティックゴールドはこのことを投資に喩え、夢を見る人は安全な投資ではなく、ハイリスクな投資をするベンチャーキャピタリストのようなものなのだといいます。

夢は元来記憶に残りにくいものですので、夢という投資から何かしらのリターンを得るには、まず夢を記録することが必要です。
ただ、そうしてたまたま「傑作」を見つけたとしても、それが現実の創作活動にそのままの形で活かせる確率は低いと思われます。なぜなら、夢から生み出される発想は基本的に「狙った通りのもの」ではなく、むしろ「思いがけないもの」であるからです。

それでも創作に夢を活かそうとする場合に、夢の方向性をある程度絞って、狙ったような夢を見るための方法として、「夢の孵化(ドリーム・インキュベーション)」と呼ばれるものがあります。これは、寝る前に解決したい問題(創作なら、それについて行き詰っている点など)を書き出して熟読し、その問題に関連する夢を見るのだと自分に暗示をかけながら眠るというものです。
スティーブン・キングが『IT』の執筆で行き詰った際、「何か思いつかなければ」と考えながら眠りにつき、ゴミ捨て場で冷蔵庫の扉を開けるとヒルの塊が飛び出して血を吸われるという夢を見て、そのまま小説に活かすことができたというエピソードがアリス・ロブの著書『夢の正体 夜の旅を科学する』の中で紹介されています。意図したものではないかもしれませんが、これも「夢の孵化」に近い作業を行っていたのかもしれません。

ここで改めて「夢は創作に役立つか?」という問いに立ち返りたいのですが、主催としましては〈伝視頭脳-1〉のレポートにも書いた通り、「夢が創作に役立つか役立たないか」ではなく、「夢を見ること自体がある種の創作である」という見解をとりたいと思います。
というのは、先に挙げた睡眠時に特徴的な脳の生理状態というのが、芸術家や作家が創造的な活動をしている時の状態とよく似ているとする説があるためです。1990年代に医師のジェームズ・パジェルが夢と創造性の関係を調べるためにサンダンス映画祭で行った調査では、映画監督や脚本家などは一般の人と比べて夢を記憶している確率が二倍以上という結果になり、また、反対に夢を全く記憶できない(夢を全く見ない?)人の特徴を自身の患者を対象に調べた結果、創造的な趣味を何も持たないという共通点が発見されたといいます。
今回は文芸創作・評論等の分野に携わる参加者が多かったということをはじめに書きましたが、それも実は単なる偶然ではなかったのかもしれません。

もちろん、夢を見ることと一般的に想像される創作行為の間に、いくつかの決定的な違いがあることは言うまでもありません。ふつう、創作というのは他者と共有されることを前提としており、それを可能にする媒体を通じて表現されます。それに対し、夢には媒体と呼べるものがなく、他者と直接共有することもできません。それでも、夢は紛れもなく脳が自発的に創出しているものなのであり、さらに言えば、そこで表現されているのは媒体による制限のない「現実認識」そのものであり、ひとつの「世界」であるとも言えるのです。
〈伝視頭脳〉という企画自体、他者と共有できないという(創作物としての)夢の持つ「弱点」を少しでもカバーしたいという思いがあって立ち上げたものです。技術の発展により、今後この「弱点」が克服される日が来ることに期待します。

非言語的創作と夢

「夢が創作の役に立ったことがない」と感じる参加者が多かったことにはすでに触れましたが、少し疑問に思うのは、これが文芸以外の創作(たとえば音楽や絵画などの、非言語的な創作)を中心に取り組む人に聞いた場合では違った結果になるのか、それともやはり同じなのかということです。

左脳は言語情報、右脳は非言語情報の処理というように左右の脳半球で役割が分かれていることはよく知られています。左脳は、かつては右脳よりも重要な役割を果たしていると考えられ、「優位半球」という名で呼ばれることがありました。それは一般的に言って、私たちが「意識」と呼ぶものが、覚醒時に左脳が担う言語的な処理が中心になるものとして捉えられているためではないでしょうか。
しかし、脳生理学者の品川嘉也は寝入りばなに見る夢(入眠時心像)とレム睡眠時に見る夢を比較して、前者を思考(言語)がイメージ(非言語)に先行する「思考型」の夢、後者をイメージが思考に先行する「夢想型」の夢に分類しています。つまり、起きている間は左脳が主導権を握り、言語的な処理が中心になると考えられている意識が、レム睡眠時には反対に右脳が主導権を握る、非言語的な処理が中心のものに切り替わるということを示唆しているのです。

解釈や理解といった言語的なプロセスを多く踏む文芸創作と比べ、音楽などの非言語的な創作では、右脳が主導権を握る夢の環境からより直接的、直観的にインスピレーションを受けることを可能にする機会が多くなるのではないかと思われます。
主催は音楽の素養が全くといっていいほどなく、楽器を練習したこともなければ、楽譜も読めません。学校でも音楽で良い成績を取ったことはありませんでした。当然、作曲もしたことがない……はずなのですが、実は必ずしもそうとは言えません。というのは、そんな主催でも夢の中で聞いたこともないメロディーが聞こえてきて、それを記憶することが時々あるためです。良い曲かどうかはさておき、それは紛れもなく眠っている主催の脳が「作曲」したものなのです。
睡眠中の脳が作曲を行うというのはそれほど珍しいことではなく、有名な曲を例にとりますと、ビートルズの「イエスタデイ」はポール・マッカートニーが夢で聞いたメロディーにアレンジを加えたものと言われています。

さまざまな夢の個人差

主催は夢の中で「作曲」をしたことはあっても、小説を読んだり、書いたりした記憶はなく、やはり夢では右脳の活動が左脳に先行しているような印象を受けます。
ただし、「破壊の読書会」第二回の課題本『ルクンドオ』の著者ホワイトのように、夢の中で言語的な創作が行われたという例もありますので、睡眠中の脳半球の働きについては個人差もあるものと考えられます。

一般的に夢の中では文字の読み書きのような記号の操作・処理が難しくなり、夢に本や看板が出てきても、文字が不安定で読み取れないことが多いと言われています。
今回「鑑賞」した夢の中にも、「読めない文字」が印象的に出てくる夢がありました。

「隣に座った人が、なにやら読めない文字をノートに書き綴っていた」
「タコをネズミと一緒に緑の虫籠の中へ閉じ込め、一度はことなきを得る」

一方、主催の夢はきちんと文字になっている(あるいは、少なくとも文字になっていると感じる)ことがわりあい多いように思います。
参加者の中にスマホでLINEをしている夢を見るという方がいましたが、文字を読んでいるわけではなく、LINEの文面の内容が直接頭に入ってくるような感覚であるとのことでした。
このような、覚醒時にはあり得ないような特殊な言語処理が見られるのも夢の興味深い点のひとつだと思います。

また、スマホについても解読可能な文字と同様に、「夢に登場しないもの」と言われることがあります。

このことについてインタビューを受けた夢研究家のアリス・ロブは、夢は未体験の脅威を脳内で事前に疑似体験することで生存確率を向上させる進化的に獲得された脳機能であるとする「脅威シミュレーション仮説」を紹介した上で、スマホの操作といった動作は現代的であるが故に、「猛獣に追われる」といった原始的な脅威を中心とする夢の世界には登場しにくいのではないかと考察しています。

この「脅威シミュレーション仮説」は解読可能な文字が夢に登場しにくいことの説明として持ち出されることもありますが、主催は解読可能な文字のほかにスマホもそれなりの頻度で登場するため、個人的にこの説明はあまりしっくりきません。
とはいえ、会のなかで「鑑賞」した夢ではスマホが登場するものは一つもなく、他の参加者にもスマホの登場について聞いたところ過半数は「ほとんど登場しない」という回答でしたので、スマホが登場する夢が比較的珍しいものであることは間違いなさそうです。

LINEをする夢を見るという参加者は、きまって自分がなにか後ろめたいことしている夢でLINEが登場するのだそうです。ちなみに、主催の夢に登場するスマホは、よく熱で粘土のように柔らかくなってしまって使えなくなります。
スマホが登場する/しないという傾向の違いのほか、スマホが登場する夢同士でも人によって傾向があるようですが、そうした傾向の違いはどのように説明可能なのでしょうか? 不思議です。

そのほかにも、「鑑賞」した夢を起点にして、夢のさまざまな個人差についてトークを行いました。

夢の時間経過について

前回の〈伝視頭脳-1〉で「鑑賞」した夢は体感される経過時間が数分~数時間程度と比較的短いものが多かったのですが、今回は日を跨ぐ夢が二つありました。
そこで、「夢の中で、最長でどの程度の時間が経過しているように感じられるか」について参加者に尋ねたところ、「一時間程度」が1名、「数時間程度」が1名、「一日程度」が1名、「数日程度」が1名、「一週間程度」が1名と大きくばらけました。
夏目漱石『夢十夜』の第一夜では百年の時が経ちますが、主催は学生時代に「自分が年老いて死ぬまでを夢に見た」という人に出会ったことがあります。これはかなり珍しいケースだと思いますが、主催自身は一時間~数時間の夢がほとんどなので、こうした夢の特殊な時間感覚にはとても興味があります。

「いったいなぜ、この時間に起こしたのだろう……?」

夢の場所について

夢は記憶が素材となって構成されると言われていますが、今回集まった夢を見ていくと、やはり行ったことのある街や母校、自宅や実家、親戚の家など、自身の記憶に深く根差した場所が舞台となるものが多く集まったように思います。
知っている場所が再現されるというのはほぼ全ての人の夢に共通して見られることかと思いますが、一方で知らない場所が夢の舞台になる時、どのような空間が構築されるかは人によって大きく傾向が分かれるように思われます。
たとえば、参加者に「どんよりとした、森林のような場所」の夢をよく見るという方がいましたが、主催の場合は山や森といった自然の空間よりも、知らない街のような都市的な空間の夢の方が明らかに多いです。
参加者の話で特に興味深いと感じたのは、別に廃墟好きでもなければ廃墟に何か思い入れがあるというわけでもないのに、なぜか頻繁に夢に廃墟が出てくるというものです。

「『こんなところで食事をするのか』と思いながら、席に着いた」

夢に頻出する建物として、ホテル、旅館、ショッピングモール、学校、病院などが挙げられることがありますが、廃墟のイメージはこれらと結びつきやすいものなのでしょうか?

夢と五感について

人間の五感のうち、最も強く夢で感じられるのが視覚、その次が聴覚で、のこる嗅覚・味覚・触覚はあまり感じないとされています。前述の通り夢の素材は記憶であると言われていますが、視覚・聴覚の記憶は比較的呼び起こしやすいのに対し、嗅覚・味覚・触覚の感覚は記憶から鮮明に呼び起こすのが困難であることに関係していると考えられます。
〈伝視頭脳〉の「夢鑑賞」は画像と音声のみで構成されていますので視覚と聴覚以外の要素は再現できないのですが、「もともと夢が視覚と聴覚だけなので、ちょうどこんな感じ」と、再現性について肯定的な声もありました。一方、嗅覚や味覚の要素が含まれる夢を頻繁に見るという方もおり、羨ましく感じるとともに、夢を再現することの困難さ、夢そのものの途方もなさを感じさせられました。

おわりに

今回は参加者が定員に達し、前回よりも2名多い、5名での開催となりました。そのぶん、夢の個性や個人差が際立って感じられやすかったのではないかと思います。

(余談)……前回の〈伝視頭脳-1〉では「高熱の時に見た夢」が多く集まり、熱がある時に特別変な夢を見ない主催は勝手に肩身の狭さを感じていたのですが、今回は同じように発熱が夢見にあまり影響しないという参加者がおり、なんだかホッとしました。

参考文献

・アンドレア・ロック著、伊藤和子訳『脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ』(ランダムハウス講談社, 2006)
・アリス・ロブ著、川添節子訳『夢の正体 夜の旅を科学する』(早川書房, 2020)
・品川嘉也『意識と脳 精神と物質の科学哲学』(紀伊國屋書店, 1982)
・吉武泰水『夢の場所・夢の建築: 原記憶のフィールドワーク』(工作舎, 1997)
・北浜邦夫『夢』(新曜社, 2016)

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