大人になっても、あのときのダイにバカヤロウと叫びたい。ダイの大冒険最終回によせて
大人になっても、やっぱりダイの最後の心境は理解できなかった。
◇◇◇
昨日、2年にわたり放送されてきたアニメ「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」が最終回を迎えた。
元は90年代中期まで週刊少年ジャンプで連載されていた少年漫画。
連載時に一度アニメ化されていたものの、番組改編のあおりを受け放送が打ち切りになっている。
2020年10月より、原作の最終話を目指したアニメがスタート。元からのファンはもちろん、新規のファン、令和時代の子どもたち(私の息子を含む)にも一気に広まった。
私は昔のアニメをちらっと観たことがあり、高校3年生の頃に文庫版を読んで以来のファンだった。
物語を全て知っているのにもかかわらず、フルカラーで声優さんの熱演を伴って動くキャラクター、数々の胸が熱くなる闘いやエピソードに、汗のように音もなく涙が伝うのがしょっちゅうだった。
以下は最終話のネタバレになる。
◇◇◇
死闘の末、大魔王バーンを倒したのも束の間、予想外の敵が凶悪な爆弾を残していく。
主人公・ダイは親友の魔法使い・ポップと爆弾を遠ざけるため、己の身も顧みずはるか上空へと飛ぶ。
「竜(ドラゴン)の騎士」と呼ばれる戦闘種族の末裔であるダイに対し、ポップはただの人間。
ポップはダイと最期を共にするなら悪くないと覚悟を決めているのだが、ダイはポップを巻き込みたくなかったのだろう。
あえてポップを足蹴にして、自分だけの力で爆弾を遠ざけるのだ。
冒頭に挙げたのは、そのときダイが語るモノローグ。
学生の頃は大団円で終わらなかったラストにただただ胸が締めつけられた。
最後のダイの心境を理解できない限り、その苦しみは再び私を襲う。
ダイは幼少期から勇者に憧れ、自ら地上のみんなの平和を守るために闘ってきた。
いくら元々が誰かの幸せを願う性根であり、竜の騎士でも、ダイはたった12歳の少年だ。
ダイの大冒険は現実世界ではないにせよ、大多数の12歳の子どもは、自分のことや学校の気になる子のことで手一杯なはずだ。
15歳のポップですら、最初は想いを寄せる仲間・マァムのことで一喜一憂していたというのに。
ダイが純粋すぎるがゆえに、自分の身よりも愛する人たちの幸せを願い、守りたい気持ちが上回ってしまうのだろうか。
大人になると、いくらでも解釈はできる。
だけどそんなことは正直、どうでもいいのだ。
どこまでも心優しい、12歳のダイがいちばん報われるべきなのに。
大切な人たちと、平和になった世の中で好きなことをして、笑い合って生きるべきなのに。
だから結局、ポップのように「バッカヤロオォォオォーッ‼︎‼︎‼︎」と心の中で叫ぶしかないのだ。
放送終了後も5分くらいソファから動けず、6歳の息子の横で嗚咽を漏らすしかないのだ。
どんなに歳を重ねても、「臆病で弱っちいただの人間」には、使命なんて大それたものはない。
ただ、息子のようなダイの幸せを願う、身勝手な気持ちがあるだけだ。
◇◇◇
一方で、ダイを含めた全員が平和になった地上で幸せに暮らした、という終わり方だったなら、ダイの大冒険は世代を超えて残り続ける名作にはならなかったのではないか。
終わり方があまりに綺麗すぎると、そのときの気分は良くても「あれ、あの話なんだっけ?」となる。
ダイだけが不在のまま、物語は終わる。
だが、ラストでダイは生きていると明確に示唆されている。
ラストのモノローグの通り、物語が終わりを迎えても、キャラクターたちの人生は続いている。
私たち読者・視聴者も、ダイが帰ってきてポップたちと抱き合うシーンを思い描き続けるからこそ、「ダイの大冒険」は心のいちばん奥の大切なところにしまわれるのだろう。いつまでも。
※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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