「2人のこと」輪廻
「ねえララ、そろそろ私達旅にでる時期だと思わない?」
時刻は午前3時を過ぎたばかりでもあり、4時に向かって一刻一刻時を刻んでいる頃でもあった。この提案はこれより早くても遅くてもダメだったと思う。もうこんな時間、まだこんな時間、そんな時刻に私は視線を天井から隣で寝る彼女に移し、自慢の黒々とした瞳を輝かせて言い放つ。それはもう眠ることを忘れてしまった子供のように。
「もう私たち旅をしなくちゃいけないのよ」
そう問いかけた隣で彼女はスヤスヤと目を閉じたままだった。私は何か言ってくれるのを少し待つがすぐに諦めてまた話し始める。
「あのね、私見つけたの。いつか言ってたでしょ、冒険がしたいって。冒険って何をするのが正解なのかよくわからなくて。旅と冒険って一緒なのかもしら。とにかく見つけるのに苦労したんだけど、やっと分かったの。ねえ、聞いてくれる?」
目を閉じたままの彼女の手はとても冷たい。反対に興奮して温まった私の手で彼女の冷えた手を力強く包んだ。
「まずわね」彼女は片方の手で人差し指をピンと立て、高く腕を突き上げる。
「いち、まずはこの旅がうまく行くように誓いを立てましょ。出発前の儀式みたいなものよ。言葉ってほんと大事なんだから、旅先で迷わないように固く誓うの」腕はまだ高い位置に留めたまま。
「結婚式とかで言うようなあんなやつ。なにかとはじまりには誓いを立てさせられるものでしょ。きっと私たちは困った顔を見合わせるわね。でもね、分からなくてもとにかくはいと言い続けるのよ。ちょっと不安なことでもとにかくはいって」
「それから」人差し指は残したまま中指をピンと跳ね上げた。
「に。食糧の調達。好き嫌いはダメ。とにかく日持ちするものを優先に。まあ缶詰が基本ね。あとは街の人になにかおすすめを聞いて、それを探すのもいいわね。飢えて死ぬのだけは嫌だから。できればお互いひよこ豆でもいいから死ぬ時はお腹いっぱいでありたいわ。私あれ嫌いなんだけど」
まだ起きてくれない彼女を抱き枕にでも巻きつくかのように足を絡ませ、肩あたりに顔を埋めた、そして彼女の頬あたりで、にの指のまま薬指を立てた。
「さん。細かいことは飛ばすわ。出発の準備が整ったら。この前中古で買った動くか動かないか分からないあの車で出発よ。見た目だけで買っちゃったからどうかしら。まだ家にはきてないけど、楽しみよ。今の私たちには少し古くさい車がちょうど良かったのよ。新車でなんか出かけたらそれはただの家族旅行になっちゃうもの。故障したら私が頑張って直すわ、任せて。そのために色々勉強したんだから」勉強したのは本当だった。声には自信が溢れて少し震えるくらい。
「さて、まずは海を目指しましょ。今は夏だもの何がなんでも泳がなきゃ。大丈夫水着は私が選んでちゃんと入れてあるから。すごく可愛いのを見つけたの。しかも特売日で少し安くなってたわ。ラッキーよね。きっとあなたも気にいるわ_____」
ここで言葉が出てこなくなった。記憶の箱が一つ開いてしまう。
「ねえ、覚えてる。昔海で私が海月に刺された時のこと。私がパニックになって、死んでしまうわって何度も何度も貴方に言い放って、でも貴方は冷静で、大丈夫、大丈夫だからって少し笑いながら言っていたでしょ。正直にいうと私あの時貴方に怒っていたのよ。何で私が死ぬかもしれないのに笑ってられるのかって。本当に怖かったんだから」
気持ちよく眠るララの頬に唇を軽く当て、ねえとつぶやいた。ララは眠る。深く深く眠っている。私はまた顔を深く埋めた。
「____よん」記憶の箱を開けてしまうと声が震えてしまう。今はこれ以上開けたくない。今だけはこの時間を大切にしたいから。
「海に入って少し疲れたと思うから少し休憩しましょ。車でもいいし、適当なホテルでもいい、休める場所を見つけるの。寝る前にはおやすみのキスをしてね。いい夢が見られるように」
「ご」
大きく開いた手の平を彼女の頬に添えて言った。
「さあ、ご飯よ。持ってきた缶詰もいいけど、初日だけは贅沢しましょうよ。まだこれから先なにがおこるか分からないんだもの。だからね少しお洒落なレストラン探して好きなもの食べてお酒もほんの少しだけ。これも旅の初日のお祝いとして、ね?いいでしょ?」
返事はない。そんな事は分かっているのにやっぱり寂しさが全部を支配していく。でももう分かっている事だから。変えることのできないこれが現実。何度も何度も自分に言い聞かせた言葉をもう一度、頭の中で唱えた。
「ねえ、ララ。私決めたから。こんなふうに貴方と旅ができなくても私一人でだって旅をするって。怖くてしょうがないし、きっと貴方の事で頭いっぱいになるんだと思う。でもね、貴方も私とは違う場所に旅立つから、きっと私はこの場所でじっとなんてできないから。勘違いしないでよ、貴方を探しに行くんじゃないの。私は私の旅をする。想像もつかない場所で貴方も頑張るなら私も頑張らないと。そうでしょ?地球は丸いんだもの、きっとまたどこかで会えるわ。ララ、私ずっと貴方のことが好きよ。それだけは知らない場所に言っても忘れないで」
最後にララの顔を正面から見たくて両足を開いて跨った。プラスチックのマスクを外す。本当に眠ってるみたいだった。
ああ、大好きよ。ララ。大好き。じゃあね、またね。大好きなララ
すると、ララの細い腕を背中に感じた。引き寄せられる力も同時に。十分だった。もう大丈夫。ありがとうララ。大好き。
ララのそばを離れる。もしかしたら魂だけはそこに残してしまったかもしれない。
思うように力が入らず、その場を離れるのに時間が必要だった。すると誰かが私の肩に優しく触れた。ララのお母さんだ。お母さん、ごめんなさい。最後の時間を私が独り占めしちゃって。ごめんなさい。貴方も辛いのに。
ララのお母さんは私の肩を抱え、歩くのを手伝う。
「大丈夫、ララは今幸せよ。そして貴方が笑顔でいてくれたらもっと幸せね」
「はい」