創作エッセイ(46)映画と小説
双葉十三郎の本で映像の技を知った
私は小学生のころから小説が好きだった。中学に入ってからは、映画好きにもなった。どちらも「物語」である。その頃に読んだのが双葉十三郎さんの映画に関する入門書だ。そこで、クローズアップとかストップモーションとか映像の技術を知ったのだ。さらに絵のつなぎ方で、人物の気持ちや、その場の雰囲気をも演出できること。水平線の位置によって画面のイメージが変わるなどのテクニック。
市川崑監督の映像に魅了される
中学に入った頃、テレビで出会ったのが市川崑監督の「木枯し紋次郎」だった。この作品で彼の演出に魅了された。その後、金田一耕助映画で市川崑演出は庵野秀明さんを観了することにもなる。
高校に入ってからは、石ノ森章太郎さんの「マンガ家入門」の中で映像演出を学んだ。特に「雄弁な沈黙」などが印象に残っている。
私が、ようやく小説を書き始めるのは大学に入ってからだ。だから私の作品は、映画を撮るような気持ちで書いているといっても間違いない。
まるで映画を観てるよう
2022年に、出版社系の某サイトに作品を載せるにあたり、過去作品を読ませてください、という依頼があり、「不死の宴 第一部 終戦編」を提出したことがある。その寸評の中に、
「ディテールの練りこみがすばらしく、映像を見ているような気持ちで一気に読んでしまいました。まさに映画」という言葉があり、我が意を得たりだった。
映像的表現の例
具体的には、どのようなものなのだろうか?
例)リアリティの積み上げ、音や情景など
トラックの後ろを走っていた乗用車の助手席でシミズは湖畔沿いに停まっているトラック型の車両に気づいた。ヘッドライトを点灯している。
「あれじゃないですか」
そう指摘する間もなく前を走る車両が停車した。水野軍医少尉も車を止める。
突然、「タンタン」という銃声がして前のトラックの車体から「カンカン」という弾着の音がした。
シミズは慌て車から飛び出し、姿勢を低くしたまま道路脇の草むらに飛び込んだ。一瞬遅れて水野も隣に飛び込んできた。
すぐに乗用車の方にも「カンッ」と弾が当たり始め、そのたびに車体が小刻みに揺れている。やがてボンネットから蒸気が噴き出した。ラジエータをやられたらしい。
周囲を伺っても暗くてわからない。前のトラックがゆっくりと傾いた。タイヤを打ち抜かれて空気が抜けたのだ。
例)場面と視点の切り替え(短いシーンを畳みかけるようにつなぐカットバック手法)
重機関銃の重い銃声が夜明け前の空気を震わせ始めた。
南部は少年兵たちに向かって「動け!止まるな!的になるな!」と声をかけた。
同時に左のこめかみに重い衝撃を受けて路上に昏倒し、一瞬気を失った。
木沢は南部が頭を撃たれて昏倒するのを見た。重機関銃のライフル弾の当たった瞬間、南部の左のこめかみから血と肉と骨のかけらが飛び散るのが映画のスローモーションのように見えた。
その重機関銃に向けて右手一本で保持した短機関銃を連射しながら、「少尉!」と叫んで南部に駆け寄る。視界の端に、同様に駆け寄る原口を見た。彼は百式短機関銃に着剣していた。
重機関銃の方で兵が「頭だ、頭だ」と叫ぶ声が聞こえた。
原口の目の前で、「少尉!」と叫んで南部の体に手をかけようとした木沢の頭が爆発した。原口はそれを見ながら南部の体を左手一本でつかむと、肩に担ぎ上げた。
例)余韻のある光景を言葉で描く
夜明け前の薄暮の中、塩尻市奈良井の町外れで一台の側車付自動二輪が止まっていた。短い髪の娘が側車に布をかぶせている。守矢みどりであった。
塩尻峠を越えたところで、如月は昏睡に入っていた。その前に如月からは、高山市にある彼の実家に行くように指示されていた。実家では、「一心の嫁である」と言うようにと言われ、その旨の手紙も用意してくれた。その手紙は今、みどりの上着の内ポケット、左の乳房の上に大切に抱いていた。
如月先生の嫁、そう思うとみどりの心は踊った。
たとえ如月の心が美沙に向いていようと、彼には私が必要なんだ。
みどりは側車の船の中で遮光の布を被って昏睡状態の如月を布越しにさわった。
「先生は私のものだ、絶対に守ってあげる」
守矢の男たちが姫巫女・美沙を守り、彼女の為に殉じる人生を送る気持ちが、みどりにはようやく理解できた気がした。
山の稜線から太陽が顔を出し始めた。
みどりは自動二輪にまたがると、キックペダルを起こした。そして気合いを上げながら「えい!」とキックスターターを回した。
エンジンが勢いよく回り始めた。
未舗装の幹線道をみどりは走り始めた。バックミラー越しに上ろうとする太陽が見えた。その光から逃げるように、自動二輪は木曽谷を西に向かって走り始めた。
言葉と文字の文章で、読者の脳に映像を刻む
私が夢中になった小説作品は、エンターテイメントが多い。その表現の手法は間違いなく映像的であった。私はその影響を受けている。
都会の夜が明け、朝になった。
ではなく、
空が白み始め、タワーマンションの最上階に朝日が射し始めた。コンクリートの街はゆっくりと目を覚ましていく。
と書きたいのだ私は。それこそが描写で伝えるってことだと思うのだ。
(追記)
くどいようだが、例に挙げた作品はこちら。お読みいただけるとうれしい。
「不死の宴 第一部終戦編」