創作エッセイ(32)長編小説執筆体験談(2)

初めての長編小説の執筆は、それだけで、構成力語り口人物造形などで、短編だけを書いているよりも早く確実に力がつく。
だが、本業の会社員生活や、家族との生活などの傍らでは、その執筆自体が体力をそぐストレスになりかねない。そんな体験を私もしている。

長編執筆には気分転換も必要

「不死の宴 第一部終戦編」を書いているときのことだ。四章を書き終えた後、2ヶ月ほど筆が止まっていたことがある。一つの作品に飽きたのである。そこで、その二ヶ月の間に別の作品を書くことにした。
 そのころ私は、派遣社員としてメーカーのコールセンターに務めた期間があり、その契約開けの空白期間(8か月)を利用して長編を書いていた。この派遣仕事で自分の内面と、コミュニケーション能力の特徴などを意識化できたことが実に気づきに満ちていて、この体験を作品化したいという思いが昂じていたのだった。

体験を基にした作品は早く書ける

 体験を基にした作品は、舞台も状況も事件も実際に体験したこと。さらにキャラクターは自分自身ということで、叙述の順や、省略の有無だけ注意すればいい。しかもテーマは自分の気づきということで、実に書きやすい。正に、書くこと、文章に起こすことに集中すればいいだけだ。
「不死の宴」は原稿用紙にして433枚で二年かかったのだが、この時に書いた「青空侍58 人生はボンクラ映画」は約200枚の作品なのだが二ヶ月で書き上げている。この早書きの効果は「不死の宴」の執筆に戻った時に現れた。
 実にすらすらと原稿が書けるのだ。この200枚の執筆のおかげで語りのコツや語り口が一つステージアップしたように感じたのだ。
「正に、書くこと、文章に起こすことに集中」することは、空手や拳法の型稽古や約束組手のような効果があったのだろう。

長編作品に飽きたら短編で気分転換

 この「別の作品で気分転換」する癖は今も健在で、昨年、「不死の宴 第三部」の沖縄編が一段落した時に書いたのが「92"ナゴヤ・アンダーグラウンド」である。幻冬舎ゴールドオンラインの「話題の本.com」「小説.com」に掲載させて貰った作品で、このNoteにも加筆したものを転載している。
 実はこの作品も「実体験系」である。実際の体験はキャラクターや舞台設定や時代設定、エピソードなどであるが、核となる事件は創作である。
 主人公の久利は、作者の結婚前の自分自身。勤務先や出入りする新聞社、テレビ局にもモデルがあり、名古屋圏の方なら「あそこかな」と想像がつく。情報を教えてくれる県警の刑事などもモデルがいる。
 さらにパパイヤ共済事件という詐欺事件は、当時話題になったオレンジ共済事件がモデルになっている。初めて連載形式(7月から9月まで週一回掲載)だった。
 構想したのは4月、小説.comに提案したのが4月末。連休明けにOKがかかり執筆開始。全四話のうち二話分を書き上げた7月から連載を開始した。
 9万字相当で、「不死の宴」の半分のボリュームだが4か月で書き上げている。

構想と執筆は使う脳の場所が違う?

 長編を書きながら、別の作品の構想が湧いてくるという体験。実際に執筆に携わる脳と、アイデアや着想から物語を発想する脳は別なのだなと気づかされた。
 商業作家の皆さんはこれが日常になっているのであろう。改めて感心する。
 でも、還暦迎えても、なおこのような気づきがあるのは面白い。小説書いていて本当に良かったと思う。

(追記)体験というインプット


記事内で触れている「青空侍58」は、うつで広告会社を退社した後、うつの寛解と同時にアイデンティティを回復していくハゲ親父(作者)の再生を描く、抱腹絶倒のユーモア小説。特に、メーカーの苦情電話対応の裏側が興味深いと好評です。
 まったく知名度の薄い作家だが、Kindleのおかげで、自由に好きな作品、書きたい作品に注力できて、しかも電子書籍という形で読者に届けられる。いい時代になったものだと感じている。
 ながらく会社員だったおかげで、老後の現在は年金で暮らしながら小説に専念できている。苦労したが勤め人を続けたおかげでもある。定職って大事だな。
 公募入選
した「神様の立候補」という作品も地方の広告会社を舞台にしたビジネス小説で、やっぱり体験から生まれた作品。小説執筆は机にかじりついているような印象だが、社会経験という体験のインプットは重要なのである。

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