創作エッセイ(68)活劇シーンについての考察
小説執筆に関する気づき系エッセイ。今回は動的なアクションシーンについて考えた。というのも、ちょうど現在、執筆中の長編が、アクションシーンで苦戦中だからだ。そこで、小説作品内での活劇シーンに対する個人的な癖などを考察した。
脳内にセットを組む
私は活劇シーン、特に肉体的なアクションや銃撃戦など、キャラの立ち位置や物の配置まで、脳内にセットを組んで描写するタイプだ。逆に、そこまで脳内に準備をしないと書けないわけでもある。
例)引用「不死の宴 第一部終戦編 第五章」より--------
西城は、僧坊の雨戸の戸板をそっとずらして中をうかがった。二十畳ほどの広さの板敷き部屋だった。部屋の中央に、後ろ手に縄で縛られた俊子が横たえられている。絣の着物の裾がはだけて白い太股が覗いている。二畳半の広さの丁半ばくちや手本引きで使う白い盆茣蓙(ぼんござ)の上に、転がされているのだ。天井からは二対の裸電球が下がっていて、この光景をオレンジ色の光で煌々と照らし出していた。
いつもはバイエルンの女給姿だが、着物姿の俊子もまた艶めかしい。西城は、まるで伊藤晴雨の無惨絵のようだと思った。背徳的で罪深いが、それ故に俊子の美しさがさらに際だっていた。
めくら畳に白木綿を貼った盆茣蓙よりも俊子の肌はさらに白かった。うつろな表情は何か薬物でも処方されているのかもしれない。頬には涙の流れた痕があり、愛らしい顔立ちがよけいに哀れを誘った。
以上引用--------
さらに、格闘シーンなどの場合も、左右や上下や、敵対する相手の立ち位置まで脳内で「殺陣をつける」タイプの書き手である。これは、実際に少林寺拳法の演武や乱取り(現在では運用法と呼ばれているらしい)を体験したのが大きい。
例)
引用「不死の宴 第一部終戦編 第二章」より--------
「ミシャグチの力を得た人間の身体能力を記録した映画です」と竜之介が言った。
同じように面とグローブを着けた者が四人、画面の左から入ってきた。全員、最初の人物よりは頭一つ身長が高く体格もがっしりとしている。
カメラが少し寄ると、最初の小柄な人物は丸い体の線から女性であることがわかった。バランスの取れた体型である。
四人と一人は、相対すると剣道のような蹲踞の姿勢をとった。そして立ち上がり礼をする。
小柄な女は、拳闘(ボクシング)のように両の拳を胸前に構え、左足を前にして、すっ、と立った。肩から力の抜けた自然体の構えで、武道の高段者のような自信があふれている。
対する四人は、ばらばらっと、女の周囲を囲むように位置をとると攻撃に備えた構えをとった。
右拳を脇に抱え左腕を前に立てた剛柔流空手を思わせる者、脇を締めて開いた手を顔胸前に構えて軽く前傾した構えをとった者は柔道系であろう。後の二人は拳闘の経験者だろうか、腰を落とした武術系の構えではなく、左拳を前にしてぴょんぴょんと軽くフットワークを使って位置を少しずつ動かしている。
自身も空手経験者である如月は息をのんで画面に吸い寄せられた。締め切った部屋の暑さも忘れていた。
女は、すーっと滑るような足運びで囲みの縁へ移動する。柔道家の方だ。両手で女の襟を取ろうとする柔道家の腕を無造作に掴むと軽く万歳をするように腕を振った。男の体が持ち上がり、ばたばたと両足が動く。男の体は天井に向かって大きく円を描くと、女の頭を飛び越して背後の床に落ちた。
如月はその投げに不思議な違和感を感じた。その違和感を考察するまもなく、拳闘家の一人と空手家が女を挟んで両側から動いた。拳闘家の体を、すっ、とかわして女はその背後に回り、拳闘家の背中を押して、空手家にぶつける。遅ればせに近づくもう一人の拳闘家が放った右のフックを虫でも払うかのごとく左手で払い、払ったその手で顔を殴った。
面がずれるほどの強打で、拳闘家は膝が折れるようにがっくりと背後に倒れ込む。女は、彼が後頭部を床で強打せぬように、男の服の胸ぐらに左手を伸ばすと掴んで倒れるのを止め、やんわりと床に倒した。
左手一本、しかも一挙動でそれをやってのけた。
女の背後から、もう一人の拳闘家と空手家が迫る。女は背後を見ることもなく、とんっ、と床を蹴ると大きくトンボを切った。天井にふれんばかりの高さだ。飛び越された拳闘家と空手家は、動きを止めて頭上を仰いだ。
女の着地をねらって空手家が後ろ回し蹴りを出した。同時に拳闘家が女の退路を断とうと位置を変える。
着地と同時に、女は空手家の蹴り間合いの内側に飛び込むと、蹴り足を背中でいなしながら、空手家の体を肩に担ぎ上げ、右手で拳闘家に投げつけた。拳闘家は空手家の体を受け止めて後ろに倒れ込む。滑るよう近づいた女が二人の喉元に手刀を寸止めすると、二人は動きを止めた。勝負がついたのだ。
ノックダウンした一人をのぞいた三人と女が礼をする。面を外そうとした女を拳闘家が「だめだめ」とでも言うように制しているところでフィルムが終わった。
以上引用--------
当時、友人(極真空手経験者)から「このリアリティは武道やってないと出せない」と言われて「我が意を得たり」だった。
五感を総動員
小説では実際の映像は観られない、言葉によって読者の脳内に絵を浮かばせる必要がある。しかし同時に、映像では伝えられない「匂い、味、痛み、疲労感」「喜怒哀楽の感情」などを伝えることが出来る。この利点を120パーセント活かすのも自分流の描写術だ。
例)引用「不死の宴 第一部終戦編 第八章」より--------
照明弾が次々に打ち上げられ上空で燃え始めた。真昼のような明るさになり、視界の中の光景が真っ白になり陰が消えてフラットな景色になった。
北島の耳元を、「しゅっ」と風切り音がすると同時に足下の地面に弾の当たる「ぷすっ」という音がした。
「たんたん」という連続発射音と同時に、「しゅぷす、しゅぷす」と弾が飛んできては地面に刺さる音がした。機銃で狙われているのだ。ヴァンパイア兵三人は、遮蔽するものもない広大な広場を走り抜けた。
三人は広場の片隅に止まっていた幌付き四輪トラックの陰に飛び込んだ。
機銃弾はホースの水をまくように容赦なくトラックに降り注ぐ。幌が風になびくようにばたばたと音を立て、同時に「びりっ」という裂ける音も聞こえる。車体の金属部分が、「かんかん」「ばんばん」と震えた。
以上引用--------
このシーンでは主に音や情景の細部に凝っているのだが、他にも、「喉に流れ込む鼻血から鉄の臭いがした」のような表現は小説だからこそである。
かように凝り出すととまらないので、現在の停滞は、脳内でキャラ達に殺陣をつけているところなのだった。あと、助っ人のサブキャラの登場の仕方も何パターンも工夫中。やっぱり外連味にあふれたかっこいい出し方したいですからねえ。
(追記)
今回の引用元の作品。自分の作品だと安心して引用できますな。
「不死の宴 第一部終戦編」
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