吐いた言葉を飲み込んでいく
いわゆる「ブログ」という媒体を
始めたのは高校生の頃。
そう考えると、17歳とか18歳ぐらいから
やっては消して、やっては消してを繰り返している。
現在37歳
20年ぐらいどっかで言葉を書いている。
辞めて辞めて辞めて、
また書きたくなって
辞めて辞めて辞めて、
また書きたくなって
20周年記念、というわけではないが、
一つ一つ思い出してみようと思う。
①2003年頃〜2005年
「日常ふきこぼれ」 gooブログ
ふきこぼれ、という名前は初めからあったんだなぁと、ちょっと感心する。
「知らん奴の日記なんか誰も見ない。
よって、ボケ倒す事こそ正義」
という拗らせまくった概念のもと、
妄想、嘘、でっちあげを駆使し
お笑い好きの悪い部分だけを抽出した産物
内容はとにかく「これおもろいでっしゃろ」的な押し付けがすごく、痛々しい。
毎回ブログのタイトルも
「アンパンメンズファッションフロア」とか
「玉木宏と阿部寛が運動会で戦ったら」とか
タイトルでもう痛さがピークを超えてて
内容が入ってこない。
シュールを履き違えに履き違えた、
勢いだけの構成で見てられない。
「意味不明」と「シュール」って違うから!
いや、ほんと、痛い。ごめんなさい。
でも、そんなことなんかに気づくこともなく、
ただただ楽しかった記憶
②2005年〜2007年
「くせ毛のビハインド」 gooブログ
日常ふきこぼれから一新して始めたブログだが、
内容はそんなに変わらない。
でもフォントの色変えたり、デカくしたり、
オチの言葉に余韻を持たせたり、
貧乏大学生の悲哀を綴ったり、
「でんがなまんがな!」
みたいな笑いの押し付けはなくなっている。
だが、文章からほとばしるこなれ感が鼻につく。
ほとばしっちゃったらもはやこなれ感じゃねえ。
あと、初めて読者らしい読者の方が2人ほどいて、
それに調子こいてる。ほんとマジで、
調子こいてる。
③2005年〜2011年
「mixi日記」
mixi日記だけあって
友達向けの内輪ネタがほとんどだが、
「山本くんいい文章書くね!」とか
大学の後輩から
「山本さん本出したら売れますよ」とか
「あったかい言葉ですね」とか言われて
調子こきすぎてる。もはや屁こいてる。
お前が面白いんじゃなくて、みんなが優しいだけなんよ!
それにしてもmixiって、
足跡とか紹介文とかさ、
コミュニティ、コメント
「承認欲求満たす装置」
として優秀だったな、と今気づく。
まんまと甘えてんじゃねえ!
④2006年〜2007年
「honekawa radio」 ケロログ
中学時代の同級生、S君がタレントの卵をやってるという事で、その宣伝にでもなればと作った当時流行りのボイスブログ。
僕がラジオ好き、音楽好きだった事で、
台本書いて、ジングルつけて、素人ながら2部構成でラジオっぽく編集。
mp3ファイル、懐かしいね。
それなりにちゃんとしてたおかげか、
ケロログのおすすめに載り
S君は公式から「ケロログ王子」と名付けられた。
だが、誰も聞いていなかった。
...なんでやねん!
⑤2006年〜2011年
「fukikobore」
高校時代の友人が芸大に行き、
そこに混ぜてもらって
「fukikobore」というアートユニットで5年ほど活動した。
僕は作品コンセプトやキャプション
オリジナルポストカードやアートブックの文章
を担当していたのだが、
いかんせん、「芸大生」に負けたらあかんという変な尖り方をしてて
「センスありまっしゃろ」感を出そうと必死。
ありまっしゃろとか言ってる時点でセンスはない。
非常にポエミーな文章を書こうとする。
その当時の作品の一つ↓
...これはイカンですよ。
...これはモテようとしとる。
自分で書いといて胸が苦しくなってきた。
痛え。ゲボだぜ。
何でもかんでも「世界観」って言っときゃ逃げ切れると思うなよ。
てか、このポストカード文章いる?
必要なくね?
ちなみに、このイラスト書いた子は
アニメ「坂道のアポロン」とかの背景を描くまでに成長し、立派にお仕事にしている。
いやマジで文章邪魔やん。
でも、
この時の経験がずっと頭から離れなくて、
今も文章を書いている。
ここで出会った人達が、
大切な出会いが、
僕の青春だったと言っても過言ではない。
そして、僕は、ここで大きく失敗をし
その大事な人達を傷つけてしまい
全てを失う。
残ったのは、100万円の借金
今も細々と言葉を考え続けるのは
この時期に出会った人達に謝りたくて、
文章を書くのを辞めると、
この人達との繋がりが、謝るチャンスが金輪際なくなってしまうような気がして。
まあ、もう繋がりもなにもないのだが。
情けないね。
さ、湿っぽい話は終わりにしてさ。
fukikobore時代に遊びで
「ママ・ラカス」っていう
自費出版エッセイ書いたんだけど、
あのデータどこにあんのかな。
読み返したいな。
あのエッセイに書いた、
たまたま乗ったタクシーの運転手さんが、
急に「フィリピンパブはええぞ」って熱弁してきた話
あれ好きなんだけど、詳細忘れちゃったな。
タクシーのおじさん元気かな。
⑥2009年〜2010年
「sneak preview」 gooブログ
fukikoboreやってる時に
友人の芸大で出会った1人の女の子。
この子、本当に言葉の扱い方や所作が綺麗で、
「ああ、これが才能なんだ」と
思い知らされた。
仲良くなり、言葉や文章力が、
その子の今までの人生に裏打ちされたものだと
気づいて、もっと喋ってみたくなり、
違う大学で普段から会えないので
文通感覚で始めたブログ
言葉には形があること
投げ方で伝わり方が変わること
接続詞で、他人との距離を測ること
形のないものを形にすること
色んなことを教えてもらった。
勝手に師匠だと思っている。
しかし、前述のfukikobore解散により
会うことは無くなる。
⑦2011年〜2012年
「テガシニガシ」 WordPress
fukikobore解散から、何かしなきゃと思って始めたWordPress
正直何書いてたか全然記憶にない。
タイトルもめっちゃ考えてこれに辿り着いたことは覚えてるんだけど、
タイトルの意味とか全く覚えてない。
検索しても全く出てこない。
え?夢?怖い話?
2012年〜2015年
社会人の忙しさに飲まれて
何も手につかない日々。
ああ、このまま何もせずに
人生が終わっていくのだな。
という不安だけが増長する。
⑧2016年〜2017年
「gerapeko」
〜いつだって腹は減るマガジン〜
WordPress
小・中学の同級生
「ユーコイケ」を誘って始めたブログ。
テーマは「ごはん」
同じテーマで男視点と女視点から2つのブログを書き、同時に公開するというスタイル
「彼女の初めて手料理」
「彼氏に初めて手料理」
「初デートの店どうすんの問題」
「男の飲み会何話してんの問題」
「女の飲み会何話してんの問題」
「結婚式のお料理問題」
などなど、
へー、女の子ってこんなこと考えてんだ。
へー、男の子ってこんなこと考えてんだ。
と比較しながら楽しめる飯ブログだった。
なぜ、ユーコイケを誘ったかと言えば、
mixiで繋がってた時に日記がめちゃくちゃ面白かったのと、
短歌を嗜んでいて。
ユーコイケが詠んだ短歌に
「もう2度と 間違うことのないように
下着の色を 間違えておく」
という一句があって。
下ネタとかじゃなくて、この句から想像される色んな背景に
「天才やん」
と思ってしまった。
「ユーコイケ」
という才能を世に出したい....!
こういう人こそ売れるべきだ...!
そんな気持ちで始めたブログだったが、
生活が違うもの同士、なかなか長続きはしなかった。
ユーコイケ、何してんのかな。
面白い短歌あったらまた教えてよ。
2018年〜2019年
中田敦彦オンラインサロン「progress」
長年付き合った彼女とも別れ、
いよいよ本当に何も無くなった自分は
なんの価値があるのだろうと泥水をすする。
とにかく誰かに会いに行こう
知らない世界に飛び込んでみようと
オリラジ中田あっちゃんのオンラインサロンに入会したのをきっかけに
知らない人達と話すことで、
「悩んでいるのは自分だけじゃない
みんな形は違えど、根本は同じことで悩んでいる」
という事に気づき、
「オリラジ中田さんのオンラインサロンで学んだこと」
というブログをあっちゃん本人から褒めてもらって感謝をしつつ脱会。
なんだかんだ、賛否両論ある人だけど
すげえ優しくて面白い人だと思ってる。
あと、サロン内でプレゼンの授業があって、
その時に、大阪在住だから「たこ焼き」に
ついてプレゼン動画を撮ったおかげで
大阪の一通りのたこ焼き屋について
やたら詳しくなる。
「優れるな、異なれ」
あっちゃんかっこいー!カッキーン!
⑨2020年〜現在
「note」
ありのままの自分を見てもらうことが
1番面白いんじゃないかと思い
30代後半、独身の悩みや生活を
そのまま出すブログを始める。
それだって、
「面白いと思われなければ!」
「完璧な文章じゃないと!」
そうじゃなきゃ価値がない!という意識にさいなまれ、
「誰が興味あんねん!」
とヤナギブソンばりに自分を責めながら
消したり書いたり、アカウント変えたりしながら続けて、
今は
もう完全じゃなくていい、とりあえず続けることが1番大事。
誰のためじゃなくていい、自分のために書けばいいと、今の日記形式に至る。
形や、方法にこだわらず、
ただただ続ける。
奇しくも20年前に否定した
「知らん奴の日記」
を今、書いている。
やりたいことがあったらやればいい
書きたいことがあったら書けばいい。
それでいいんだよって
自分に言い聞かせています。
今年で38歳
2024年は、自費出版で本を書きたいと思う。
何を書くかは決めてないけど
この20年で出会った人達への感謝と
これからの自分に。
そして、同じように悩む人達へ
直接的ではなくても
何か感じてもらえるような。
2003年から、今までの僕が
「良かったね」
と言ってくれるような言葉を探して
それは決してドラマチックなものでもなくて
誰もが憧れる文章でもなくて
どこにでも流れている
サントラの様な文章。
さ、
ふきこぼれそうになる
痛い自分を抱きしめて
結局生きていくんだよ。
それだけなんだ。
※追記
名前変えました
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