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ハキダシ 〜「表現」について〰️

「ハキダシ」

推敲なし、添削なし、頭の中にある雑多をただただハキダす文章です。きっと読みづらいです。



・表現について

「表現」に関する本を2冊ほど読んだ。
どちらにも共通して言えることは

「自分が見たいものを作れ」

ということだった。

文章で言えば

「自分が読みたい文章を書け」

ということになる。

それが質の高いものであれば
受け手は勝手に受け取ってくれると。


さて、ここからハキダシ。
ただただハキダシます。

無限に続きそうになるので、2000字ぐらいでやめます。


確かに文章を書くとき、
「これって面白いのか?」とか「誰か認めてくれるのか?」とか
外に向けて書くことに意識を持っていかれることが多い。

今風に言うと「バズらなきゃ」みたいなことか。

会社の書類とか、プレゼン資料とかは
たしかにその「外向け」の意識っていうのは大事だけど

自分が表現することにあたって
外を意識するのは本末転倒だなと気づく。

だって、表現は自己表現、自分の中にあるものだから

「有名になりたい!」「褒められたい!」なんてことを考えてる時点で
濁った表現になるのだろう。

「自分が読みたい文章を書く」
とてもシンプル。

そしてそれを読んだ何処かの人が、偶然にも
「いいな」って思ってくれると嬉しい。

そういう過程を経て、自分の表現というのは外に広がっていく。

そう考えると、今まで書いてきたものの大半は
「自分の表現」とは違うところにあったなと思う。

そもそも、なんで自分は
「文章を書くことが好きになったのか」

ブログを通じて
「文章を発表しようと思ったのか」

「自分の読みたい文章って何なのか」

それを今一度、取り戻さないといけない。


そもそも文章を書こうと思ったのは、
中学生の時にお笑いにどっぷりハマったから。

「自分が書いたもの、作ったもので人が笑ってくれること」

これに物凄い憧れを抱いたからだった。

お笑いから入って、ラーメンズ、バナナマン、おぎやはぎ
いわゆる「君の席」を見て

こういう笑いがあるんだということを知る。

関西ではザ・プラン9のライブを見に行って、DVDを買って。
そこからPiperという劇団を知り、演劇にハマる。

後藤ひろひとに憧れ、G2プロデュースの
「BIGGEST BIZ」を観て、引き込まれに引き込まれて

「こんな世界を書ける人になりたい!」と帰り道に思う。

その当時演劇のDVDとか買い漁ってたら良かった。。。。
今になって後悔。。。。
お笑いのDVDは普通に買えたけど、その当時は演劇のDVDって
どっから買えばいいかわかんなかったし、学生には高かったんだよなぁ。

学生の時は陰キャでさあ、
自分が演者となって笑いを取ることが全く想像できなくて

ラジオにハガキを送って、パーソナリティが笑ってくれたら
最高の気持ちになったんだよな。
ありがとうナインティナイン

そこから「書くこと」が好きになる。
そしてブログを始める。

「自分の書いたことで、誰かが笑ってくれる」

それが嬉しくて。


昔から本を読むことに抵抗はなかったが、
何冊も何冊も本を読むような感じではなかった。

初めて自分で買った本は何だっただろうか。

おそらく「芸人エッセイ」の類だったとは思う
誰のだったかな・・・爆笑問題かな・・・伊集院光かな・・・
ああ、松本人志か。「遺書」だな
「松本」「遺書」「愛」王道やなこれ。

そこから芸人エッセイの類はそれなりに読んできた
というかそれしか読んでなかった。

大学生の時に、好きだった子が
「森見登美彦」を勧めてくれた。

「夜は短し歩けよ乙女」を貸してくれて。

その子と喋りたくて、
夢中になって小説を読んだ
むしろ小説が好きなふりしてた。

浅ましい・・・不純だわ。

でも、そのおかげで本当に本が好きになった。
伊坂幸太郎や西加奈子を読んで。

今でも暇なときは本屋に行って、
面白そうな本を買ってはずっと続いている。

ありがとう、その子と当時の浅ましい自分。


その辺からかな、ただ笑える!とかそういったものから
ちょっとあったかい、人間らしい文章を好きになるのは。

西加奈子さんなんてむき出しよな
人間ここにあり!って感じでとても好きでいる。
松っちゃんも言ってたしな
「一番面白いのは人間の哀愁だ」って


noteや他の人のブログを読んでいて
この人いいなーって思うのもそういう
「人間してる!」って文章や漫画だったりする。

そういや音楽もそうだなぁ
ゴリゴリのロックもいいけど
結局そういった人間臭いものをよく聞く。

「人間臭い」

これ一つのキーワードだな。


ここまでで考えると

「自分で読みたいと思う文章」ってのは

「笑えて、あったかくて、浅はかで、愚かな、人間の匂いがする文章」

ということになる。

これが僕の表現の軸。
まだざっくりしているけど。

そんな愚かな人間を

他の人が偶然見て、

笑ったり、元気になったり、励まされたり、こんな奴がいるんだと

思ってもらえたら万々歳。


てかさ、40前にもなって
いつまでもいつまでも悩んで文章にして
自分を見つけるために何回も何回も過去振り返って
痛え痛えって言って、何とかヒントを持ち帰って
また文章を書こうとして
また「これでええんか・・・?」って悩んで
立ち止まって振り返って
痛え痛えって言って

経験を振り返るというのは、
身がすり減るような
痛みを伴う作業でもある。

「お前いつまでやってんのそんな事」って
言われるぐらいには

もうすでに自分は愚かで笑える

「人間」

なんだなって気づけたところで

今日のハキダシは終了。
また、掃除します。


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