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1月3日日記(日記113)

電車がとても空いている。
いつも満員電車で、なかなか扉が閉まらないほどの人なのに、今日はぽつりぽつりと乗客がいるくらい。


みんなおやすみで、わたしもその中のひとりで、不思議な気持ちになる。


実家に向かう電車のなか。
実家のあたりは、わたしが住んでいるところよりも、たぶん、すこし寒い。
だからちょっとだけ、着込んできた。
実家のあたりの、つん、とした、しん、とした空気を思い出してる。
実家は関東だから、今住んでいる東京と、さほど天気は変わらないはずなのに、なんだか空気がちがうのは、昔、嫌で嫌で仕方がなかった、だだっ広い土手や、大きな川や、田んぼや、畑があるからなんだろう。




実家に帰るときに、お化粧をしたことがなかった。


お母さんとお父さんと旅行に行くときも、お化粧をしたことがなかった。


だからいつも、わたしの荷物はおどろくほど少なくて、「ほんとうに泊まるの?」というくらいしかなかった。


でも今朝は、はじめてちゃんと、お化粧をしてみた。
働いているときと同じように、ベースメイクをして、眉毛を描いて、チークを塗って、リップを塗った。


お母さんとお父さんの前で、お化粧をすることが、こわかった。


「もうこどもじゃない」


という事実を、自分が受け入れられなかったのだと思う。


期待して、期待通りのことばがもらえなくて、こころのなかでうずくまっていたこどものわたしが、大人として、お父さんお母さんの前に自分が立つことを、許してくれなかったのだと思う。


「わたしはまだこども」
「わたしはまだほしいものをもらってない」
「まだたりない」
「これじゃたりない」
「あのことばを、このことばを、わたしにちゃんとかけてほしい」
「わたしのことを、だいじにしてほしい」


そんな思いが、わたしを大人にすることを、阻んでいたように思う。



でも今朝は、お化粧をしようと決めていた。


自分がすてきだな、と思える服を着て。
自分がかわいいな、と思える顔にして。
お父さんとお母さんに、会いに行こうと思った。



たぶん、もう、いいかなと、思えたんだと思う。



後ろ向きな気持ちでは全くなくて、むしろ、こころがすこん、と、軽くなったような感じ。
もう、いいかな。
十分、苦しんだ。
だからもう、いいかな。
もう苦しまなくていいかな。
わたしは、わたしの大切なひとを見つけた。
大切にしたい場所を見つけた。
だから、もう、いいかな。
「大人」になっても、いいかな。


今年、38歳になる。
13歳のころから、悩んで、苦しんで、もがいてきたことを、こころのなかから降ろすことにした。


今日、わたしは、「大人」として、お父さんとお母さんに会いに行く。
去年のわたしにはできなかったこと。
今までのわたしにはできなかったこと。
今の自分だから、できること。


きっとお父さんもお母さんも、それ以外の誰からも見ても、気が付かないくらいの変化だ。
でもそれでいい。
わたしが、これからのわたしのために、できること。
それが、今日のお化粧だ。



だれのためでもない、自分のために、できること。
今の自分を、これまでの自分ひっくるめて、受け止めた。
だから、大人になってみる。
ここから少しずつ、「大人」を、やってみる。
それがあたらしい扉を教えてくれる気がしている。
今まで知らなかった扉を、教えてくれる気がしている。




電車の中にいる人は、みんな、「大人」の顔をしている。
でも、こころのなかは、わたしと同じようなひとも、いるのかも。


わたしもきっと、「大人」に見える。
でも、わたし、今日やっと、大人の一歩を歩き始めたよ。



すなおに、無理なく、お父さんとお母さんに会えることがたのしみ。
そんな風に思えることが、うれしい。
2人が元気だといいな。
笑っていたら、いいな。

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はじめ
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい