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本番中に話し合い⁉ 子どもたちが創る唯一無二の劇
今日は年長児による「リトルフェスティバル」が開催されました。
子どもたちが自分たちで企画し、運営するこの特別な舞台は、年長児としての集大成でもあります。
それぞれのクラスが自由な発想で物語を創り上げ、試行錯誤を重ねながら準備をしてきました。
今回は、2つのクラスの劇の様子や、保護者の方々の反応、そして子どもたちの成長を支える大人の役割について振り返りたいと思います。
物語の世界を旅する――てんしのクラスの劇
てんしのクラスでは、「ブラックホールに吸い込まれ、さまざまな世界を冒険する」という物語を演じました。ドラゴン、動物、アイドル、恐竜の世界を主人公たちが巡り、そこで出会った仲間たちと遊んだり、問題を解決したりする展開です。
準備の段階では、ドラゴンのセットが壊れてしまったり、アイドルのメンバーが抜けることになったりと、トラブルが続きました。
しかし、子どもたちはその都度話し合いを重ね、どうすればよいかを考えながら進めてきました。
当日は、保護者の方々には、細かい小道具や演技が見えづらい部分もあったかもしれませんが、映像を活用しながら工夫してお伝えしました。
また、舞台の表には立たないものの、裏方として重要な役割を果たした「フロアマスター」の子どももいました。
照明やカーテンの操作、ブラックホールの演出など、舞台全体を支える大切な仕事を担い、仲間たちの劇を陰から支えてくれました。
劇中も創意工夫の連続――そらのクラスの劇
そらのクラスの物語は、「ドライブで秘密のお城にたどり着き、さまざまな冒険をする」というものでした。
キッチンでは空からキャンディーが降ってきたのをきっかけにパーティーが開かれ、お風呂では動物たちと入浴、お庭ではドッジボール大会、最後は忍者たちが宝探しをする、という盛りだくさんの内容でした。
しかし、本番中には予想外のトラブルも発生。
お風呂チームのセットが改良を重ねるうちに、逆に立たなくなってしまい、子どもたちは大慌て。
ほかのグループの子が手を貸そうとしました、「裏と表の違いが分からないからやめて!」とお風呂チームの子に言われ傷ついてしまい、劇の最中に話し合いが始まる場面もありました。
しかし、その間、ナレーターチームが機転を利かせてアドリブで歌を歌い、場をつなぐという素晴らしい対応を見せました。
ドッジボールの場面では、事前の練習ではうまくみんなが参加することができない場面もありましたが、本番ではしっかりとチーム分けができ、得点板の運営もスムーズに。
忍者たちがこだわった宝探しも、難易度を上げるためにじっくりと時間をかけて隠してもらって、子どもたちの満足感につながりました。
「完成された劇」ではなく、「子どもたちの挑戦」を見守る
リトルフェスティバルは、大人が作り込んだ発表会とは違い、子どもたち自身が試行錯誤しながら創り上げるものです。
そのため、途中で話し合いが始まることもあれば、喧嘩をしてしまうこともあります。
本番中だからといって、そうしたトラブルがなかったことになるわけではなく、むしろ子どもたちはその場で解決策を考えながら進めていきます。
一方、12月に行われる「ページェント」という行事は、決められたストーリーを演じるものです。
イエス・キリストの生誕劇であり、音楽も台詞も変わりません。
それに比べると、リトルフェスティバルは、当日も絶えず変化し続ける劇です。保育者ですら何が起こるかわかりません。
保護者の理解が、子どもたちの成長を支える
それでも、向山こども園の保護者の方々は、子どもたちのやりたいことを温かく見守り、理解してくださっています。
昨日の準備の段階で、ドラゴンの口の中に入りたい子ども同士がもめてしまい、「もう行きたくない」と泣いてしまった子がいました。
しかし、当日には友だちと工夫して3人とも口の中に入れるように調整し、無事に劇を楽しむことができました。
その子の保護者の方は、「やりたいことをやるために頑張れたことが成長ですね」と、嬉しそうに話していました。
また、別の男の子の保護者の方も、作るプロセスの部分からの成長を一緒に喜んでくださいました。
照明の担当をやりたかった彼は、リハーサルの段階で仲間とうまく意思疎通ができず、気持ちがぶつかってしまいました。その結果、感情の整理がつかずに泣いてしまい、一時は「もうやりたくない」となってしまったのです。
しかし、仲間にも支えられながら、最後は自分で気持ちを立て直し、仲間と一緒にまた劇に参加することができました。
その様子を、保護者の方にもYouTubeを通じて伝えていたのですが、映像を通して、子どもがどのように葛藤し、乗り越えようとしたのかを知った保護者の方は、「最後まで自分で気持ちを切り替えられたことが本当に成長だと思います」と一緒に喜んでくださいました。
この男の子は、本番では得点板と試合の審判という役割を担い、最後まで責任を持ってやり遂げました。
客席からは見えにくい場所での仕事でしたが、「自分で決めたことをやり抜いた」という経験が、彼の大きな自信につながったようです。
保護者の方も、「最初は心配だったけれど、自分の足で登園し、しっかり役割を果たしてくれたことが何より嬉しい」と話してくださいました。
このように、リトルフェスティバルは単なる発表会ではなく、子どもたちが挑戦し、葛藤しながら成長していく場なのだと改めて感じる出来事でした。
保護者の理解に支えられながら…
私は、行事のたびに保護者の方々への感謝を伝えています。それは、子どもたちの自由な表現を受け入れ、一緒に作っていくことができるのは、保護者の理解があってこそだからです。
十数年前に私が向山こども園に赴任したと同時に、園は大きな変革期に入りました。
そのため、園児数が減り、どのように保育を進めていくべきか模索していた時代です。
懇談会では、私の話が終わると同時に、あちこちで手が挙がり、厳しいご意見をいただくことも多くありました。
今振り返ると、私の説明が足りなかったこと、変化が急すぎたこともあったと感じています。
決して過去の保護者が悪かったわけではなく、当時は保育の方向性を共有することが難しかったのだと思います。
しかし、感情としては、保護者の方に対しての恐怖感を強く感じていました。
これは私だけではなく、ほかの保育者も同様でした。
そのため、ミスのないように、トラブルがないように…と気を張りながら保育や行事に取り組んでいました。
しかし、今では「子どもが子どもらしくいられる場」を目指す園の理念が浸透し、保護者の皆さんが成長のプロセスを見守ってくださるようになりました。
子どもたちは、失敗を恐れずに挑戦し、トラブルが起こっても話し合いを通じて解決しようとします。そして、本番中であっても、保護者の方が理解してくださるという安心感があるからこそ、若手保育者も含めて、自分で考え、子どもにとって最善だと思う解決策を時間をかけて一緒に考えることができるのだと思っています。
保護者の方が「子どもが子どもらしくいられることが大切」と理解して下り、信じて待つってくださるという環境があるからこそ、子どもたちがのびのびと成長でき、そして私たち保育者もしっかりと子どもの方を向き、その成長を支えることができるのです。
子どもたちの「やりたい!」を支える園でありたい
リトルフェスティバルを通じて改めて感じたのは、「子どもが子どもらしくいられる場を守ることの大切さ」です。
子どもは大人と違い、自分の感情を客観視するのがまだ難しい年齢です。
衝動的に動いたり、喧嘩をしたり、急に疲れてしまったりすることもあります。しかし、それは成長の過程であり、大人の都合で押さえつけるべきものではありません。
保護者の方々の温かい理解と支えがあるからこそ、私たち保育者も安心して子どもたちのやりたいことを応援できます。
今日のリトルフェスティバルも、その積み重ねの一つでした。
改めて、長い時間応援し、拍手を送ってくださった皆様に感謝申し上げます。
これから映像の編集を行い、明日にはアーカイブの配信を予定してます。
アーカイブの映像が、自分の成長を実感できる機会の一つになることを願っています。