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言葉を持たないことの豊かさ

今日は1歳児担当の保育者と話をして感じたことを共有したいと思います。経験が浅いながらも一生懸命保育に取り組んでいる姿はとても輝いていましたが、少し焦りを感じているように見えました。
彼女が話してくれたエピソードでは、子どもたちと風を使った遊びの中で、子どもたちが多くのことを学び、発達していると話してくれました。
このエピソードを聞いて感じたことや、改めて考えさせられたことを書いてみたいと思います。


風は見えない

話してくれたエピソード

「風は目に見えないし触れられない」という言葉から語り始めたこのエピソード。
どうやって子どもたちが風を感じられるのか、いろいろな工夫をしてくれました。
風車を用意して風を視覚化したり、木の揺れる様子や落ち葉が風に舞う姿を一緒に見たり、「ぐるぐるだね」「びゅ~って吹いたね」などたくさんの言葉で語りかけてくれました。
そうしているうちに、強い風が吹いたとき、子どもたちが風で木々が揺れているのを見て面白がり、「ふけ~!」と何度も言って盛り上がっていたとのこと。
風を通して、子どもたちは新たな言葉を獲得し、見えない風の存在を知ることができ、保育者もその成長を感じ取っていました。

風って…?

このエピソードはとっても素敵です。
自然の中で、風を通して様々なものを見て、感じたことを言語化できた子どもたちの成長は、だれもが納得するものだと思います。
そして、この保育を行うために、一生懸命考えた保育者にも脱帽です。

読者のあなたは、どのように思いますか?
特段、違和感はないですよね?

でも、へそ曲がりな私は、どうしても違和感を覚えてしまったんです。
それは、一番最初の語りはじめのところ。「風は目に見えないし触れられない」という言葉でした。
「風」は見るものでも、言葉で話すものでもなく、全身で感じるものなんじゃないかなと私は思ってしまいました。

みなさんは最近、風を感じましたか?
私は家から一歩踏み出すと、その季節の空気を肌で感じる瞬間があります。柔らかな毛布のような春の風、全身が壊れた蛇口のようにしてしまう夏の熱風、思わず吸い込みたくなる秋の風、きりっと前を向いて一歩踏み出したくなるような冬の空気。
言葉で表現しきれないその感覚は、一瞬のうちに心を満たします。

風って、語るものでも見るものでもなく、ただただ感じるものなんじゃないかな…と私は思いました。

言葉を持たない世界で感じるもの

0歳や1歳の子どもたちが生きている世界は、言葉のない感覚だけの世界です。
私たちが大人になると、感じたことを脳みそが自動的に言葉に置き換えるようになります。
例えば「夏の風は蒸し暑い」「秋の風は爽やか」といったように。
でもその言葉は、本当にその感覚を言い表せているのでしょうか。
感じたことを、たった数文字の言葉に押し込められるほど、単純なものではないはずですが、私たちは、数文字の言葉に詰め込んでしまいます。
『感じたままを感じる』ことは、実は結構難しいことなのです。

言葉を持たない時期に、子どもたちはただそのまま風を感じ、全身でそれを味わいます。
私たちはその純粋な感覚を失い、言葉を得たと同時に、感覚を言語化する過程で少しずつ感じたことを削ぎ落としてしまいます。

大人が感覚の世界に浸るためには、脳みそが自動変換して数文字に押し込められないような大きな出来事の中に身を置かなければなりません。

仲間と一生懸命に取り組んだ末に成し遂げた時の涙。
大切な人の気持ちが伝わりすぎて、どうしようもなく一緒の気持ちになる時。
とてもとても幸せな人たちと一緒にいて、心が震える感じ。
こんなすごいことが起きないと、脳みその自動変換機能を機能停止させ、言葉を超えた感情の世界に浸れないのではないかなという風に思います。

一緒に感じ、一緒に生きる時間

だからこそ、保育者が言葉を持たない子どもたちと一緒に感じ、一緒にはしゃぎ、一緒に驚くことが大切です。
言葉を早く覚えることがもちろん喜ばしいことではありますが、そのために焦ることは必要でしょうか。
人生100年時代の中で、言語を持たない時期はほんの1~2年。わずか2%に過ぎません。
大人が躍起になって言葉を獲得させることを急ぐよりも、たった2%しかない貴重な時代に、大人が寄り添い、共に感じることが、子どもたちにどれほど大きな影響を与えるかは計り知れません。

言葉を超えた共感が生む心の成長

感じたままを感じるその瞬間は、時に言葉を超えた一体感をもたらします。大きな感動や感情の揺れは、言語を超えて人の心をつなぎます。
保育者が共に感じ、子どもたちと心を通わせることで、その豊かな心の成長を促すことができるのです。
言葉を持たない2年ほどの間に、保育者が一緒に感じ、一緒に笑い、一緒に浸ることで生まれる共感は、その後の人生を大きく支える基盤となります。

人生の中のたった2~3%の時間ですが、その短い期間で保育者が寄り添い、一緒に感じることが、言葉を持つ世界へと子どもたちを導く前に、大切な土台を築いてくれると私は思っています。

最後に

この記事を書くきっかけをくれた保育者の名誉のためにお伝えしますが、とてもとても一生懸命保育をしてくれている保育者で、年中の担当から1歳の担当になり、こどもの姿に戸惑いながら、そのギャップをたった半年で克服しようとしています。
今回も熱心に私の話を聞いてくれました。
この話をするきっかけをもらえて、感謝しています。



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