
公開保育で寄せられた質問に答えて:AI活用の可能性と課題
先日行われたスマートエディケーション主催の公開保育では、AIの活用に関する質問や意見を多くいただきました。乳幼児教育学会に続き、AIについてまとめてみたいと思います。
いただいた質問
「AIで音楽を作るとありましたが、子どもたちが歌ったり楽器を使ったりする実体験はどの程度取り入れていますか?」
「AIが絵を描けるのは面白いが、子どもの想像力を阻害しないか心配です」
「AIに依存してしまう子どもが出てくる可能性はないのでしょうか?」
AIがもたらすメリットへの期待とともに、依存やリスクへの懸念が大きいことが分かりました。
そもそもAIが存在する社会について、私なりに学んだことも含めて、書いてみたいと思います。
AIは「拡張」の道具:過去の技術と比較して考える
道具は人体の拡張であるという考え方
AIは「大脳の拡張」とよく言われます。
私もAIの登場により、この「拡張」という考え方に触れたのですが、私たちがこれまで使ってきた技術は、身体の一部を「拡張」しているという考え方があります。
例えば、車は「足の拡張」、電話は「耳の拡張」、眼鏡は「目の拡張」、インターネットは「コミュニケーションや脳の拡張」と言えます。
足の拡張:技術進化の具体例
人類は長い間、自分の足で歩いたり走ったりして移動していました。それは移動距離や速度に限界があるものでしたが、そこに馬が加わることで移動距離が伸び、次に馬車を使うことで荷物を運ぶ量も大幅に増加しました。このように、道具の発達により足の機能が拡張され、人々の生活の範囲が広がっていったのです。
さらに産業革命が起きると、蒸気機関や内燃機関が開発され、蒸気自動車やガソリン車が登場しました。これにより、より速く、より遠くに、より多くのものを移動させることが可能になり、人々は移動手段としての「足」を劇的に拡張させました。
今では車や電車、新幹線、飛行機を使い、簡単に数百キロ先まで移動できる生活を送っています。
世界最速のスプリンターであるウサイン・ボルト選手の最高時速は44キロと言われていますが、新生児が退院時に乗る車ですら、すでにその速度を超えています。
つまり、人間が出せる最高速度は足での限界がありますが、技術の助けを借りることで圧倒的な速度と距離を達成しているのです。
これが、技術による足の拡張という考え方です。
拡張の恩恵とリスク
しかし、このような技術の発展による恩恵の裏にはリスクが存在します。
私のように、近くのコンビニに行くのにすら車を使ってしまうなど、その便利さに頼りすぎると、身体を動かす機会が減り、体力の低下とお腹周りの肉の増加につながることがあります。
子どもの場合、幼少期から車ばかりに頼って歩く機会が少なければ、筋力や体感が弱くなったり、肥満や体力不足の原因となる可能性があります。
このように、技術の恩恵を享受する一方で、足が拡張されたから、自分の足を使わなくてもよくなるというわけではありません。
まずは体を動かすことの楽しさを知ったり、自分の体の使いかたを実体験を通して学ぶことは非常に大切なことです。
AIによる「拡張」も同じように考えるべきです。
確かにAIは便利で、私たちの能力を大幅に引き上げることができますが、過度に依存すれば、子どもの想像力や主体性を損なう恐れがあります。
そのため、拡張ツールとしてのAIという考え方をするなら、拡張する前提となる脳や経験・体験をまずはある程度確立するべきで、子どもたちが自ら考え、行動し、体験する機会を十分に確保することが重要です。
人間とAIの協働で生み出す「150点の成果」
これまで人間は、自分の力で40点や50点の案を出し、それを上司や同僚と一緒にさらに磨いて60点や80点に仕上げるというプロセスを経て、最終的に社会に出せる形に整えるのが一般的な流れでした。
AIが登場したことで、このプロセスが変化しています。
AIは、人間が作ってインターネット上に出した80点の成果物を学習データとして使っているので、おのずと、80点の答えを生成するようにできています。
よくNI(Natural Intelligence(自然知能))派の人たちは、「AIなんて人間と大差ない」「人間がやったって同じだ」とおっしゃいます。しかしこの指摘は全く的外れだと私は思っています。
人間だって、最初に出された40~50点の回答をそのまま会社の成果物として提出しないのと同じで、AIが生成したものを、そのまま成果物として使わないのは、当たり前のことです。
AIと共存していくというのは、AIが出した80点の答えに対して、人間がさらに感覚的で数値化されにくい感性を加えたり、自分の経験や実体験に裏付けられた出来事で磨きをかけることで、120点や150点といった、これまでにないレベルの成果物を生み出すことが求められる時代になったということです。
AIが80点のものを生成する中で、クオリティーやスピードの満点がNI時代の100点ではなく、150点が合格点で、満点はさらに上になるという、最高到達点が高くなっただけだと私は思っています。
重要なのは、AIが提示する80点の成果をそのまま使うのではなく、人間が関与してさらにAIに生成できない価値を加え協働することです。
これにより、従来の保育や活動の質を向上させるだけでなく、可能性の上限を引き上げることが可能になると私は考えています。
AIを活用した保育の未来
AIを活用した保育の新しい可能性
AIを保育に取り入れることで、子どもたちに提供する遊びや学びの質を飛躍的に高めることができます。
これまでは保育者が自身の知識や経験、また園文化を基に80点の内容を準備していましたが、AIの力を活用すれば、120点や150点の質の高い活動を子どもたちに提供する可能性があります。
AIで叶える個別最適化
これまで保育者は、子どもの興味に合いそうな図鑑や塗り絵などを用意していましたが、それが必ずしも子どもの関心に100%フィットしているわけではありませんでした。
AIを活用すれば、子どもの興味ややりたいことを観察し、それにピッタリ合った教材や活動案を即座に生成することができます。
たとえば、子どもが昆虫に興味を持てば、それに特化した絵や活動を提案することが可能です。この提案を基に、保育者が保育環境を準備することができるのです。
NIによる保育を否定するものではない
一方で、AIに頼りすぎると、子どもたちの想像力や主体性を育む実体験が損なわれる恐れがあります。
また、保育者が作り出す未完成な60点の素材を子どもたちと一緒に80点に仕上げていくプロセスも重要な価値を持つ場合もあります。
成果物よりもプロセスの中での育ちが重視される幼児教育によって、このような共同作業を通じて、子どもの想像力や主体性を育むことが期待される場合は、AIを使わないことも重要な選択肢です。
プロセスを重視する幼児教育
AIを活用するかどうかは、子どもたちに豊かなプロセスを提供するためにどのような方法が適しているかを基準に、人間の保育者が主体的に判断することが求められると私は考えています。
保育にAIを取り入れることは、質の高い保育を目指すための一つの選択肢です。これからも、AIの可能性を探りながら、子どもの成長を支える新たな方法を模索していくことを大切にしたいと考えています。