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諦められない娘とカナヘビの死

今日は妻がキリスト子ども市の製品作りで忙しかったので、娘たちと水族館に行ったり公園で遊んだりして過ごしました。
久しぶりの休みだったので、私にとってはとても貴重な一日となったので、最近の娘について書きたいと思います。

今日書きたいと思っているのは、以前記事にしたカナヘビの続報です。

家にあるいろいろな餌をあげて世話をする毎日でしたが、餌が尽きてきたので、ハニーワームを注文したのがちょうど1週間と少し前のこと。
月曜日には届く予定でしたが、残念ながらその前にカナヘビは天国へ旅立ってしまいました。


娘の生き物への愛情と「死」の経験

娘はこれまでにも多くの生き物を飼ってきました。捕まえた虫たちが動かなくなるたびに、「死んじゃった」「もういらない」「埋めてくる」などなど、様々な扱いをしながらたくさんの命とかかわってきました。

そんな4歳になったばかりの娘ですが、実は、結構たくさんの命との別れを経験しています。

生まれた時から一緒にいたトイプードルのティーちゃんは、娘にとっては特別な存在でした。ティーちゃんは、大きな園行事の朝、私の腕の中で天国へ旅立ちました。そのとき娘は1歳で、言葉で状況を理解するのは難しかったはずですが、何かを感じ取ったのでしょう。いつもと違い、一人で静かに朝ごはんを食べているときの表情が、涙でかすんだ風景の中でしたが、今でも鮮明に思い出されます。

また、園で飼っていた羊が亡くなったときも、娘はその別れを見届けました。羊の最期を私が見つけることが多く、第一報を聞いたり、園での別れ会にも立ち会ってきました。

そして昨年、私の父が天国へ旅立ちました。亡くなる3日前から、驚くほどきれいな虹が連続して空に架かっていたことをよく覚えています。父の埋葬の場にも娘は一緒にいて、家族全員で見送りました。

虹を見るたびに思い出します

また、妻方のひいおじいさんやひいおばあさんも天国へ旅立たれるなど、娘はたくさんの別れを経験してきました。

死を受け入れられない娘

そんな経験を積み重ねてきた娘ですが、今回のカナヘビの死はなかなか受け入れられない様子でした。
動きが鈍いなと思っていたのもあり、心配していたことが現実に起こったので、私が「もしかすると、カナヘビは死んじゃったかもね」と言ったときも、「ねんねしているだけ!」と言い張り、机の後ろに隠れてしまいました。
死んでしまったことはわかっているはずですが、それを認めたくないのだろうな…と思います。

この話題には触れてほしくないようです

父の死と私自身の想い

娘の姿を見ていると、私自身も父の死に向き合ったときのことを思い出します。
老人ホームから呼び出され、到着したときには父にはまだ息があり、手も温かかったです。母と私で声をかけるうちに、首元で見えていた鼓動が徐々に止まり、握っていた手からぬくもりが失われていくのを感じました。

あれから1年以上が経った今でも、父のことを思い出す瞬間があります。
急に声が聞こえたような気がしたり、何の前触れもなく寂しくなったり…。
大人であっても死を完全に受け入れることは難しく、ふと心の中で父を探してしまう自分がいます。

娘の感情に寄り添うために

4歳の娘がどうやってカナヘビの死と向き合うのか、私にはわかりません。

娘がたまに「ティーちゃんとサニー(羊たち)は一緒に遊んでるかな?じっじもいるかな?」と話しかけてくるとき、その言葉の奥には彼女なりの理解と心の整理があるのだと感じます。
その中に、いつか、カナヘビも仲間に入れてもらえる日が来るのかなと思っています。
白いふわふわに覆われ始めているのですが、私たち親にできることは、彼女の気持ちが整理されるのを見守ることなんじゃないかなと思っているので、今は、そのままにして様子を見ています。(かなへびちゃん、ちゃんと埋葬するから、少しだけガマンしていてね)

死は、もしかすると「受け入れる」ものではなく、「寄り添いながら生きていく」ものなのかもしれません。
娘がカナヘビとの別れからどんな気持ちを学び取るのか、焦らずそばで見守っていきたいと思っています。

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