6話 И計画
75年
やはり、アンナは学校に溶け込めなかった。友達は出来ているし、勉学にもついていけないということではなく、学校のあの軍事的教練が肌に合わないらしい。
そして、党の政策のもと形作られたこの都市に、修道院が作られた。多くの人々は、信仰ではなく元の生活の一部を取り戻そうとして通っており、アンナも通っている。
私はというと、祖国のためのИ計画に従事することになった。
その計画の全ては私も分からないが日本行きが決定しており、親元から離されアンナと出会った学校から養成学校へ。
来年の今頃にはもうロシアにはいないだろう。
そのようにして二人の時間は減った。
減り続けていく。
最後にあったのは、もういつのことだろう。
もしかしたら、修道院へ行けば出会えるかもしれないと、私も合間に足を運ぶのだが、彼女が避けているのか運が悪いだけか、出会えたことはない。彼女の家へ直接行けば良いものの、今となっては彼女の聖域に足を入れるのが怖い。私の孤独が彼女を喰らい尽くすのではないかという怖さ。
だから、こうやって人前である教会で、敬虔なさまを装うためにハリストスの力に与ろうとしている。はじめに掘っ立て小屋同然の木造で造られた教会だが、今は小屋の周りに増築がなされ、綺麗に漆喰が施されている。そのさまは、故郷から連れてこられた人々にはこの街の象徴のように映っていて、心の拠り所としても、また誇りの支えともなっているのだった。
今日は多くの時間を作ってきた。彼女に会えるはずだと、数十分椅子に座っていたのだが、やはり手持ちぶたさになってしまう。
刻々と、彼女のために作った時間がなくなっていく。
前の席の後ろに物置用の出っ張り箱があり、祈祷書と聖書がそこに置かれていたので読んでみる。宗教はてんで理解が出来ないし、党の指示で影響されないように注意されていた。
「分厚い…」
イザヤ書、適当に開いたページにはそのように書かれていた。
また、ペラペラとめくって、手紙が収められていて、昔の人の思いがどのように書かれているのか、ユダの手紙と銘打たれた短い章を暇つぶしに読んでいた。
そのうち、観想に来た修道女がポツポツと現れる。
気配がするたびに、アンナではないかと目を向けてしまう。
そのうちの一人と目があって、「何かお悩みでしょうか?」と訪ねてきた。私は面倒だなと思う。しかし、隣に座って、親身そうにするので無碍にすることも出来ず、少し話せば気晴らしになるだろうと口を開いてみた。
「その…ある人と会いたくて、その人にひどいことをしてしてまって。それ以来会えなくて、ここには通っていると知っているので、ここなら許してもらえると合間に来ていて…」
「罪の意識を感じることはありませんよ」
「はぁ…でも、謝りたくて」
何も知らないくせに、とは思った。
「では、神のご加護があなたにありますように」
もっと、根掘り葉掘りと聞くものかと思ったが立ち去ってしまった。
なんだか、居所が悪くなって聖書置きに聖書を戻して、その場を立ち去った。
帰り道、彼女はこの街にすっかり溶け込んでしまったのだろうかと考えていた。
一人、群れからはぐれたひつじのようにしていた彼女は、この囲いの中で居場所を見つけたのだろうか。私が彼女に思うことは、ただただ群れに帰って欲しいこと。そしてひとつまみの、友達の度を過ぎた思い、一緒にいたいという思いが募る。
日が暮れて、街灯が灯りだすと、もう人々には個性はなく同じ人であった。
私もその一人の亡霊。明日のために、今は重たい肉を背負う抜け殻。
点々と灯る光の下をいくつかくぐるとねぐらのアパートがあるのだが、一階の大玄関の横の暗影に物乞いのように立っている人影があった。
まるで、亡霊、しかし私の目はすぐにそれを期待へと促した。
足早に、小走りに駆け寄る。
「泊まっていくの?」
私のアパートの前に居た人影は期待通りにアンナだった。私が修道院にいる間、彼女はアパートの前で帰りを待っていた。私は部屋の前で、そのように聞くと「うん」と、ぽつりと返事する。
鍵を開けながら、「親には?」と聞けば、「大丈夫」と返ってくる。
部屋に入れてから、少しばかりの沈黙があった。言葉を発したら、この空気ごと破裂してしまいそうな…。
「何かあったら言って」やっと出た言葉はそれだった。
シャワー室や、キッチンは一階の共同用スペースにあるので案内して使わせた。
アンナがシャワーを浴びている間に、軽く野菜煮込みを作って部屋でごちそうし、またも何を言えば良いのか迷ってるうちに時は前進し続けた。
沈黙を破ったのは彼女だった。カバンから、久しく見ていなかった日記を取り出して、「日記…持ってきたよ」と言うのであった。
「あ、ああ」
今回は、アンナが描いたものに文を添える番だなと、後ろからめくった。
そこには、思いの丈が綴られていた。
私は、読んで良いのかと返答を求めるように彼女を見たが沈黙で応えられた。そして、手元に目を落とす。
あの日、この街から出ることを嘆いてアンナに慰めてもらったのに、ひどく口喧嘩してしまったことについて。それから、貞心を保つために修道院に入る決意をしたことが書かれていた。
『
あなたが祖国に貢献できると聞いて、
わたしは掛け値なしに喜んだのですが
それがかえって、傷つけたことを謝ります。
わたしはあなたのことを何も知らなかった。
あの日のあなたの言葉を知るために、この日記の思い出より
もっと生きた言葉が欲しい、もっとあなたと共にいたい。
会わなかったのは、あなたを身近に思いたいため
今日という日を忘れないためです。
どうか、わたしの胸の中にあなたを抱かせてください。
あなたを胸に、永遠の命に入りたいのです。
』
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