ゆううつまでも隠し味
「なんだか仕事に向かいたくないな」と、気晴らしに散歩をしている。朝の静かな農道を速足で歩く。追われるような不安から逃れたい。
イヤホンで耳をふさぎ、行くあてもなく、ただ真っすぐ歩いている。遠くの公園に行こうか、それとも反対側の神社で祈ろうか、それすら決まらない。
すれ違う車のスピードに、乗車している人の充実を感じる。はあ・・・と、ため息をついてイヤホンを耳から外す。やけにカエルの鳴く声がやかましく感じた。
ふと、視線を農道わきの田んぼに落とす。水を張られた田には、空と山が映し出されていた。そして田んぼには、ちいさな苗が規則正しく並んでいる。
「そうか、もう田植えの季節か」と、すこしの安堵を感じると同時に、笹まきを思い出す。
笹まきは、ササでモチ米を包んでふかしたものだ。それを青豆きな粉で食べる。笹の香りがなんとも爽やかで、青豆きな粉によく合う。きな粉に少し塩を入れるのがポイントだ。
山菜の収穫がひと段落したころ、山には笹が伸びだす。梅雨前の貴重な晴れ間をぬって作る笹まき。これが、田植えをする人の活力になる。
笹まきは、笹の葉2枚とヒゲの紐1本、そしてモチ米お玉に半分でできる。
笹の葉で三角のコップを作り、その中にモチ米を入れ、おにぎり型にする。もう一枚の笹で袴をはかせるように包み込み、ヒゲの紐でぎゅっと縛る。
さぞ、うまく包むには技術が必要だろう、と思われるかもしれないが、すこしくらい格好がわるくても気にせず楽しんで欲しい。
美味しいものを食べたいという願望に敬意をはらえば、時間なんぞ棒にふってもいいのではないだろうか。
そうそう・・・。笹まきは、カボチャの煮つけを作ってくれたばあちゃんに教えてもらった。毎年、この時期になると大量につくる。50個から多いときは100個ほどだ。日が経ってかたくなったら、また湯で戻せばいいだけのこと。
茶色い弁当から卒業した春、私は大学受験に失敗し予備校の寮にはいることになった。その落ち込みようは今でも鮮明に覚えている。
最終の合格発表は自宅でみていた。パソコン画面を見ながら言葉もなく泣き出したところに、ばあちゃんはやって来て、いつまでも背中を優しくさすってくれた。その手のあたたかさも忘れられない。
しかし、どうしてもぬぐいされない落胆を抱えたまま、予備校生活を送ることになったものだから、周囲にうちとけるまで時間がかかっていた。
そんなある日、寮に大きな荷物が届いた。箱を開けてみると、それはそれは胸をすく香りがした。一面の笹まきだった。その数は50個を超えていただろう。
ばあちゃんの笹まきは、途方もないくらいの安心をもたしてくれた。
けっして一人で食べきれる量ではないので、食堂にいって寮生にくばって歩いた。話したこともない人に、笹まきを勧め食べ方を教える。なんとも心地のよい休日を過ごしたものだ。
さて、休みの日に笹まきを作ってみよう。ぶかっこうでもいいではないか。日ごろのうっぷんを詰め込んでみてもよいだろう。
笹まきが出来あがるころには、きっと清々しい愉快さにかわるはずだ。