視線と目線(2024/10/07)
人の視線が怖い
僕のそういった「特性」について、
これまでにあまり語ってこなかったし、
僕自身もあまり気にしていなかった部分でもある。
誰かに見られている、という状況はとても怖い。
視線を感じながら何かをする→無理。
具体的な例を挙げると、
人前で発表するときに、
「誰かに見られている」と感じてしまうと
頭の中が真っ白になってしまう。
アルバイトなどで、
上司(先輩)に見られながら作業に取り組むと
思い通りに上手くいかないことが多い。
誰かに見られながらだと、
自分の好きなこと(趣味など)ができない。
などなど…
「視線を感じると集中できない」
?????
いや、その程度の話では済まないのだ。
誰かに見られていると、漠然と怖くなる。
なんで怖いのか それは分からない。
見られるのは嫌? そういうことではない。
でも、視線を感じると 急に怖くなる。
僕を見てる人は何を感じ、何を思うのか。
僕を見て何を言おうと考えているのか。
僕がどんな人か観察してるのか?
僕の何を見てるんだ?
そんなに僕を見て何になるんだ?
何か言いたいことがあるなら言ってくれ
「僕を見る」という行為だけでは
何も伝わらないんだ
教えてくれ
僕を見て 何を思うのか
昔から言われていたことがある 一部の人間から
「今の動き なんか変だね」
「でも それ面白いよ」
別に悪い気はしない。その当時も、今も。
でも、そんなふうに見られているのか、と思った。
他人から見た僕は、動きが変で面白いんだ って。
僕は感情を表現するときに、
よくボディランゲージ(ジェスチャー)を多用する。
びっくりした時は つい両手を挙げてしまうし、
考え事をするときも 無意識に腕組みをするし、
🤔のポーズはもはや欠かせない。
俗に言う、「オーバーリアクション」ってやつ。
昔からそうだった気がする。
人前で緊張して上手く話せない自分は
口よりも先に体が動いて、ジェスチャーをする。
それで自身の言葉足らずを補っていた。
今もそうだ。
リアクション(ジェスチャー)が無意識のものとはいえ
ジェスチャーをしている自分のことは、
確かに認識、意識している。
日頃ジェスチャーに助けられているなぁ、と。
今の状況として、
ジェスチャーが無意識ではなく、自然になっている。
そのジェスチャーは
変な動き、面白いものとして
自分は全く認識していなかった。
むしろ、コミュニケーションのツールとして
重宝していたくらいだ。
僕にとってジェスチャー(ボディランゲージ)は
重要なものだ。
それなのに
他人から見れば「面白い、変な動き」
としか認識されていない。
何回も言うが、それを悪く受け止めてはいない。
嫌とも思わない。
でも、そういう感じで見られているんだ って。
それと同時に
「誰かに見られている」という意識が芽生えた。
誰かに見られて 自分のことを見て
何を思われているか予想もつかない状況
自分の意図せぬ解釈をされていることもある。
そんなことばかりではないが。
いつからだったかは覚えていない。
でも、
僕は人の視線が今でも怖い。
「見られている」という意識は
今でも消えない。
どうにもならないから
そんなことは考えるなと
自分に言い聞かせて 今日も寝るのだ。
おわり