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麻を舐める達人 #HNKS03


こんにちは、配送あるあるです。

今日は大変恐縮なのですが、舐達麻の音楽についてお話していこうかなと思います。


私がヒップホップを聴くようになったのは、大学生になってからです。入り口は、フリースタイルダンジョンや高校生ラップ選手権というガチガチのミーハーで、最初はただのバトルヘッズでした。しかし、はじめて生でバトルを見た戦極17章で、「唾奇✖HANG(glitsmotel)」のライブを見たとき、衝撃を受け、何かが変わりました。

その辺りから、Creepy NutsやBAD HOPしか入ってなかったプレイリストに、色んなヒップホップの音楽が入っていきました。そしてずっとMusic FMでしか聴いてなかった音楽を、Apple Musicで聴くようになり、もっと多くのヒップホップと出会いました。その中で特に衝撃を受け、のめり込んでいったのが舐達麻の音楽でした。

別に不良でもなく、人さえ殴ったことない自分がヒップホップの音楽について、どうこういうのはおこがましいし、どうせニワカだろと思われると自分でも思っています。しかし、そんな自分がどうしてヒップホップに惹かれているのかを、ふと考えていた時に、ひとつ、答えを教えてくれたのが舐達麻の音楽でした。今回はそれについて書いていこうと思います。




殴られた頬も、殴る拳も痛い



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Photographed by Yuji Kaneko 
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舐達麻は熊谷を拠点に活動するヒップホップクルーです。左から順にG-PLANTS、BAD SAI KUSH、DELTA9KIDの3人で構成されています。



舐達麻に限った話ではなく、多くのヒップホップサウンドが持つリリックの強さは尋常ではない、と思います。それこそ、自分の内面に生身で殴り込みにきて、自分の価値観をボコボコにして破壊される感覚があります。それこそ

「たかだか大麻、ガタガタ抜かすな」

なんてもろそれに当てはまるラインです。恐ろしい反面、新しいものが見えてスカッとする。一種の爽快感のようなものも感じます。この特有の感覚が、ヒップホップの面白いところだなと個人的に思ってます。

最近思うのは、それは「自分の隠したいところですら、さらけ出しているから」できることなんじゃないか、ということです。

私自身人を殴ったことがないので、ほんとのところはどうなのかわかりませんが、まだ精神的に幼かったとき、壁やモノに当たったことは何回かありました。情け話ですが、そういうことすると必ず手とか足とか痛めるんですよね、、、ものすごくダサい。

でもその体験からわかったことは「殴るのは、殴る側も痛い」ということです。右手で壁を殴ったとき、右手を痛めるように、暴力は殴られた側も、殴る側も痛い。ほんとに暴力はマイナスなモノ以外何も生まないなとつくづつ思いました。

その「殴る側も痛い」という点がヒップホップの音楽にも通ずる部分があるのかなと思いました。歌う側にも、聴く側にも、両者痛みを伴う音楽と呼べるのではないか、晒したくない過去を晒してまで、リアルを歌う目的はそこにあるのではないか。

ただ暴力とは違うところは、その痛みが与えてくれるものです。目覚めの一撃とも言えるのでしょうか、知らなかったものが見えてきたり、自分のことを同じように認められるようになったり。自分の身に起きた痛みと向き合わせてくれる、そんな音楽なんだと思います。

ヒップホップはブラックミュージックと呼ばれ、汚れてなんぼとよく聞きます。そう言われるのは、汚れてれば汚れているほどそれを歌う自分への痛みが増し、同時に音楽が持つメッセージの強度を上げているからではないか。ラッパーがリアルを追求する意味がぼんやりですが、見えてきたような気がします。




過去は肯定していない



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「間違っていることを正しいと歌わない、おれは」


というBAD SAI KUSHのリリックがあります。ヒップホップと言えば、ドラッグ、マネー、犯罪歴、人種差別、人生などを自分の過去を歌っている音楽が多いと思います。バックボーンと言われる部分ですね。

舐達麻の音楽を筆頭に、色々なヒップホップを聴いていると、ほとんどのラッパーが「その過去の出来事をカッコイイと肯定するためには歌っていない」というのがよくわかります。ここがヒップホップを知らない多くの人が、抱くイメージとのギャップがあるところなのかなと思います。私自身も昔は、犯罪歴や悪かったことを自慢しているんだろうなとずっと思っていました。

他の音楽に限らず、多くの人に当てはまること、そして私自身にも言える話なのですが、言いたくない過去を語るのは「それを何かの理由にすることで、できなかったことを肯定するため」というのが多いのではないでしょうか。もしくは「失敗したことを自ら話すこと自体をカッコイイと思っている」とか。


でもヒップホップが過去を語るとき、そういうことしていないんです。過去の出来事を今の自分の都合がいいように捻じ曲げることなく、その時の感情をそのままの形で残している。「おれはこういうことをしてきた、おれはこういう人間なんだ」と昇華するわけでも、言い訳するわけでもなく、認めている。肯定するのではなく、認めている。

肯定と認めるは似てるようで全然違う考えだと思ってます。個人的に「認める」とは、そのままの形で受け止めること、理解できなくても、消したくても、そのまま残す。ある意味それをカルマとして受け入れることなんじゃないでしょうか。


だからこそ歌っている過去の純度が高い。誰にでもできることじゃない、ここがなにより私がヒップホップを好きな理由です。そういうところで、ドラマやバックボーンが見えない音楽は退屈、フェイクだと揶揄される理由はこういうところなのかな、と思いました。

犯罪や、ドラッグ、暴力などは自分にとっては特別、というか普通の事じゃないため、そういうのを聞くと今までは、自慢しているように聞こえるというバイアスがかかってしまっていました。

しかし、多くのラッパーにとってそれらの行為は普通の、当たり前のことだった。楽しかった、好きだからやってた。ただそれだけのことだった。

ということに気づけたときに、すごく頭がスッキリしたのをよく覚えています。当たり前は人それぞれ、なのに世間が常識というモノが、いつのまに当たり前になっていた自分には、その尖り方がとても鮮やかに映りました。別に犯罪をすることをカッコイイとは思っていません。でも理解はできなくても、受け止めることはできる。分かろうとしなくていい、ただ耳を傾ける。それが「認める」ということ。

その真意に知れたのは、ヒップホップを聞いてたおかげかなと思います。




芸術の定義



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実は私は朝ドラも好きで、朝ちゃんと起きて見る、というのが日課になってました。少し前に放送されていた「スカーレット」は今まで見た中で特に面白かったドラマのひとつだと思っています。

そのドラマのなかで、ある回で「人生を豊かにする2つのモノ」という話が出てきました。ひとつは「芸術」、もうひとつは「人を想うこと」。

人を想うことは人生を豊かにするというのはすぐにわかりました。でも「芸術、、、?」と全然腑に落ちませんでした。どういう意味なんだろうと考えていた時、あるものが「芸術がどう人生を豊かにするか」教えてくれました。それが舐達麻のライブ動画です。補足でこの記事も貼っておきます。

https://www.vice.com/jp/article/k7qqme/namedaruma


「おれは、リリックを書くときに大麻を吸うんだけど、、、」から始まる動画なんですが、今回は伝えたところだけ要約します。冒頭のBAD SAI KUSHのシャウトが「芸術とはどういうものか」のひとつ答えを教えてくれました。


「どんな精神状態がどんな精神状態であろうと、それを何かに映し出すという行為が芸術なんだと。それをさらに続けて思ったのは、この芸術をするという行為は全人類がするべき。それは絵を描くとか文章を書くとか、最悪地面に絵を描くとかなんでもいい。

なぜした方がいいかというと、生きてると楽しい事や幸せなことばかりじゃなく、ムカついたり僻んだり、時には殺してやりてえとか思うこともある。それを自分の中だけで消化できることに越したことはない。ネガティブな気持ちを持ったまま人と接しても、いいことなんてひとつもない。

さらにそれを続けること、真剣に向き合うことでそれが成長すると思う。成長していくものを自分で見ていて、それが自分の自信になる。

自分の嫌なことを消化するためにつくったコイツが、誰か他の人に評価されたとき、すごい最高の気分。満足はしてねえけど。」


これをはじめて見た時、すごくぶち上がったのをよく覚えています。自分のを感情を糧にして、心情を映し出し、芸術にする。マイナスの感情すらエネルギーにして、自分を磨く行為でプラスに変換していること、ここが芸術が人生を豊かにしているんだと強く思いました。まさかマイナスな感情の使い道がこんなところにあったとは。

また芸術はずっと見ているだけのモノでしたが、自分でも始めてみるというのがより人生を豊かにするのかなと思いました。BAD SAI KUSHがいうように誰でも、0円でも始められるし、誰かのためでなく、自分を磨くためにやることなら、今の自分にもできるなって。なにより惹かれるのが、自分のために始めたこの行為が、誰かのところに届き何かを受け取ってもらえるところです。

この前イッテQの放送に武田鉄矢さんが出てきたとき

芸術の「芸」という文字は、「荒野のような荒々しい世界に、草木や花を植えようとする人の象形文字」から始まっている

と話されてました。荒れた何もない世界に、自分に持つ術でその世界を豊かにしていく、それが芸術だと。その豊かになった世界では、植えた本人だけでなく、周りにもプラスの影響を与えていく。そして自分の持つ種をどの世界にどんなカタチで植えるのかは、自分で決める。

「俺の場合は歌詞を書くという行為だけど」

と、BAD SAI KUSHの言葉がふと頭をよぎりました。自分にとってそれはどういう行為なのか、考えるキッカケを与えてくれました。人を想うことは「誰かのために」、芸術は「自分のために」することですが、どちらも他の誰かに影響を与え、豊かにする。そして自分も豊かになる。こんなに面白いことは他にないんじゃないかと、強く思います。




おわりに



私がこうやってnoteを始めたのも、これら言葉に影響されていると思います。自分にとってできる芸術は「文章を書くこと」や「アイデアを考えること」だと決めました。自分を少しでも磨けるように、成長できるようにと、始めました。まだまだ始めたばかりですが。これからも自分を偽ることなく、ありのままにさまざまな感情を言葉に換え、ここに映し出していく、それを続けていこうと思います。少しでも舐達麻のようなカッコイイ人たちに近づけるように。この記事が誰かのとこに届き、なにか受け取ってもらえたら、この上ないことです。

今日は舐達麻を軸にヒップホップについて話してきましたが、ヒップホップはこういうものだと言いたいわけではありません。語る資格もないと思っています。そして舐達麻のスタンスだけがヒップホップだとは思っていません。色々なスタンスがあるから面白いんだと思います。ただおれはこのスタンスがこういう理由で好き、それだけを伝えたかっただけです。

まだまだ、なりたい自分には程遠いですが、今日もiPhoneから聞こえてくる舐達麻をはじめ、さまざまな音楽に励まされながら、自分のやるべきことを信じ、明日も生きていこうと思います。舐達麻の中で、一番好きなこのリリックを胸に。


「積み重ねてきた今日までは、明日に消えたりしない」



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引用

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