許せるものなら許したい


読了 青木さやか著「母」


「母」を読んだ後、静かで、それでいて熱い涙が流れた。

この本を読む前はしゃくりあげるように泣くかなと覚悟していたが、淡々と冷静に読むことができた。
青木さんのエッセイではあるが、非常に冷静かつ客観的に自分のことを俯瞰して書いているからだと思う。
タイトルは『母』
だが、単なる母との確執が書かれているのではなく、厳格な母に育てられ、愛を求めながらも口にできず、もがきながらしんどい青春時代を送る彼女の半生がリアルに描かれている。

毒親本にありがちな、一方的に親を悪く言うようなこともなく、母に愛された記憶も書かれていて、それが読んでいて心地よかった。
所々に出てくる母親の様子を見る限り、「うらやましい」と思うほど明確な愛情を彼女に与えていたと感じた。

ただ青木さんが欲しかったのは「無償の愛」であり、「いい子でいる」という「条件付きの愛」ではなかった。
何においても評価され、その評価の結果によって、向けられる愛の形が変わることが幼かった彼女にはしんどかったんだと思う。
そして彼女は「評価で孤独は埋まらない」ということに再び気づく。
芸人としてブレークした時のことだった。

「ちやほやされればされるほど、自分を認める人たちから逃げたくなった」

この一節を読んで、苦しくなるほど彼女の気持ちがわかった。

「条件付きじゃない愛」が欲しかった


幼い頃から評価され、条件付きの愛しかもらえなかった人の多くはこうなる。
自己肯定感が低いのが原因だ。
自分で構築してきた実績に自信が持てないというのもある。
親が望むように動き、結果を出せば愛してもらえる。
そういう条件付きの愛に慣れすぎてしまっているのだ。
だからほめてもらっても素直に受け取ることができず、ほめている人のことを疑ってしまう。
「あなたのいう通りに動いていないんだよ、私。それでもいいの? それでもほめてくれるの?」と。

そんな自分になってしまったこと、そういう愛の与え方をした母親を憎んでもなお、愛を求めてしまうのが子どもである。
青木さんは悩みながらも、病に侵された母のホスピスに通い、最期には心を通わせる。

「私にこんなことができるだろうか?」

本を閉じた時、すぐにそう思った。

青木さんのように、これまであったさまざまなことを、最後の最後できれいな思い出に塗り替えていく。
これができたら、自分が一番ラクになれるんだろうなぁ。

毒親育ちの多くは、「許せるものなら許したい」って思っているんじゃないだろうか?
そしてまた、わずかでもいいから「条件付きではない無償の愛を得られた」という確証が欲しい。
(私もその一人です)

そういう人にこそ、手に取って欲しい一冊だ。

★追記
私は表紙のイラストを見て号泣しました。
母と思われる伸ばした手に深い愛を、そしてその手に触れられた女性の表情に戸惑いと喜びを感じます。

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