【死語の世界】第十七話 『鍵っ子』
いまとなってはこれもまた信じられないことかもしれない。
かつては、小学生がだれもいない家に帰ることのほうが珍しかった。昭和中期以降、専業主婦というあり方が爆発的に増えてくる時代であったこともあるだろうが、両親が働いていてもおじいちゃんかおばあちゃんか、あるいはおじさんやおばさんや近所に住むお手伝いさんなどが家にいて、なんやかやと手を動かしながら帰りを待っていてくれた。
もしそうでなくても、鍵がかかっていない家は多かった。隣近所の目があってよそ者はとても目立つので、鍵などかけなくても治安は保たれていたのだ。
だからふつう、ガキはカギを持っていなかった。ポケットにはジャラ銭が入っているだけで、みんな手ぶらだった。帰ってきてランドセルを放り出し、身ひとつでさっと出かけて身ひとつで帰ってきた。新たに持って帰るものがあるとすれば泥と擦り傷のかさぶたくらいのものだ。
鍵っ子のカギはたいてい、なくさないようにとランドセルから紐でぶら下がっていて、一目でわかるのだった。やつは家に帰ってもだれもいないのだ。電気のついていない家に帰るのだ。さびしいだろうし、つまらないだろう。だから誘ってやれ。あいつはいいぜ、途中で帰ったりしないからな。だって親が帰るのはおれたちが解散する時間よりもずっとあとだ。雨が降ったらあいつの家に行っちゃうのもありだ。うるさいじじいもばばあもいない。あいつはおれたちのメンバーに数えられるやつだ。
こうやって、鍵っ子はただ鍵っ子だというだけでいろんな遊びに誘われるようになるのだった。鍵っ子はどことなく大人びていて、仲間たちといたずらするにも冷静な面があったようにもおもうが、それは受け身がちでいながら、つきあいが案外広かったからかもしれない。
鍵は、鍵っ子の時代も今も管理の象徴である。家にだれもいないことが孤独なのではなくて、家の管理、自らの管理を任されていることに、はたから見て孤独感を感じたのであろう。その代償にちょっとした自由と裁量を得られるとしても、少なくとも小学生の時分には鍵っ子を羨ましいとおもうことはなかったと記憶している(羨むのは中坊になってからだ)。
人類学者の長谷川真理子は、人類はずっと共同で子育てをしてきた、今でもその環境は必要なのだと言っているが、たしかにガキの時代は少々の縛りがあろうと怒鳴られそうであろうと、家族と親類とご近所に包まれていたほうが幸福なのかもしれない。