酒に名句なし。
たとえば、このあたりの俳句。
酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 芭蕉
酒を煮る家の女房ちょとほれた 蕪村
居酒屋に新酒の友を得たりけり 正岡子規
弱法師息もつがずよ新走 村上鬼城
肘張りて新酒をかばふかに飲むよ 中村草田男
人が酔ふ新酒に遠くゐたりけり 加藤楸邨
老の頬に紅潮(サ)すや濁酒 高浜虚子
藁の栓してみちのくの濁酒 山口青邨
どうですか。そうそうたる俳人を並べましたが、酔っ払っちゃってるとしか思えないぐだぐだ。かくいう自分も、あちこちに紹介してますが、
死はいつも唐突であり生ビール 頑是
くらいしか、自選できるものはありません。
なぜか。ずっと考えてきたのですが最近、「俳」を知るようになってはたと思い当たりました。酒は「俳」そのもの、だからできないのではないか。 「俳」とは挨拶、滑稽、即興だと山本健吉は喝破したわけですが、これはまさしく酒です。飲めていれば、これ以上なにを詠むことがあろうか(いや、ない)と反語の一つも口をつく。
むかし、まだビデオカメラが珍しかった頃、飲み会をずっと定点で撮影してみたことがあります。それを次の日見たら、ほとんどなに言ってるかわかんないんです。聞き取れないって意味じゃなくて、内容がわからない。だけど、聞いてる方はみんな頷いたりバカウケしたりしてる。若い時でしたけど、酒ってのはすごいと思いましたね。
そうこうしているうちに、こんな短歌を詠む人間になるわけです。
なんだってどうだって飲む是が非でもあした死すとも死するならなお 頑是
短歌だと少し、酒と太刀打ちできるのかもしれません。 アフォリズムとして切り取られて伝わってるものやことわざを見ていくと、ふるってるものがたくさんありますね。
「三十歳までは女が暖めてくれ、そのあとは一杯の酒が、またそのあとは暖炉が暖めてくれる」 スペインの諺です。もっとも人口に膾炙した言い方かもしれません。
「女はみんな可愛い。そうでないというならウォッカが足りないだけだ」 ロシアの諺ですが、私はとても好き。そう思いたいから飲むのかもしれないと穿ったことまで言いたくなります。
「私は機会があれば飲む。時には機会がなくても飲む」 これは『ドン・キホーテ』の作者、セルバンテスの言葉。
「酒を飲むと死ぬ。しかし、酒を飲まなくとも死ぬ」 イングランドのパブ看板だそうです。私の短歌と同じ路線。
「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」 これは我ら日本の立川談志。さすがは師匠ですな。ちょっと教訓的なところが鼻につきますが、たしかにそうかもしれないと思わせます。
「本に、酒は体に悪いと書いてあったので、私は読書をやめた」 「酒と女と煙草をやめて百まで生きた馬鹿がいる」 両方ともだれがいったかわかりませんが、伝わってます。おもしろい。
「ジョン・ダニエルはないのか?」 「あれはジャック・ダニエルだよ」 「おれとあいつは付き合いが長いからジョンで良いのさ」 映画 『セント・オブ・ウーマン』 の中でアル・パチーノが言うセリフ。最高です。これが酒だというトドメのようです。
俳諧短歌の分の悪さはいかんともしがたいなと思っていた矢先、見つけました。山頭火です。すばらしい。
よい宿でどちらも山で前は酒屋で
え?どこがいいのかわからないって?それは、お酒が足りてないだけです。