【俳句エッセイ】生活と季語|ぶり+大根
俳句の世界には、「二物衝撃」ということばがある。俳句の作り方に関係する言葉で、詳しく述べると長くなるのだが、俳句の中にはひとつの句に関連しあわない大きく2つの要素、主に季語とそれ以外の2つが並んでいるものがある。「二物衝撃」は、正味17音・十数字という短い形式の中で、全く異なる2つの言葉が同居することによって醸し出される味わいや面白み、気配とでもいったら良いだろうか。このように、説明をする側もされる側も捉えにくい、本当はとても淡くて形容し難いものであるのに、それを「衝撃」と言ってしまった人の言葉のチョイスには驚く。字面だけを追ったらそれこそ車と車が正面衝突するような、そんな状況が浮かんでしまうのではないだろうか。
一人暮らしをしているわたしは、ごくたまに料理を作る。普段は時間がなくて買ってきたものや外食で済ませがちだが、人を家に招くとき、特になにか特別なタイミングで招くときには、やはり何か作って迎えたいな、と思う。まあその奥には、料理や掃除など、やっていても誰にもほめられない作業を頑張る、少しのモチベーションがほしいという本音があるのだけれど。
2月に入って作った「ぶり大根」。少ない食材ででき、煮物なのである程度の保存が効くという便利さがありつつも、そこそこ豪華に見えるし手間をかける価値もある、まさにもてなしにちょうどいいレシピ。ゆっくり時間をかけて煮れば心が落ち着き、出来上がるころにはすでに幸せな気持ちになる。招いた人にも好評を得られたので、満足ひとしおである。しかし俳句も作るわたしは、煮込みながら発見してしまった。「『ぶり大根』は究極の二物衝撃ではないか……」
広い海と乾燥した内陸で育った両者は、突然鍋の中に同居させられる。時間をかければそれらはお腹を満たしてくれる、みんながほっとする一品になる。もちろん俳句は食べられないので、これ上回るすばらしい二物衝撃はきっとないだろう、と思ったのだった。
ところが「ぶり」「大根」ともに冬の季語。「季重なり」は一般にいいとはされない。そしてわたしが料理をしたのは立春を過ぎてからだったので、季語として望ましい時期を過ぎていることになる。これも普通はNGである。残念ながらわたしの作ったぶり大根は、俳句的にはアウトだったのである。【い】