排気口のお誕生日おめでとうの巻。

 昨日の寒さや雨はどこかへ消えて、今日は眩い冬の日差しが部屋を柔らかく包む。午前から今月から始まる排気口新作公演の稽古に向けた準備や作業。そして稽古中の一人芝居の演出を考える。これから稽古掛け持ちの生活になるので、健康にも気を付けたい。

 排気口新作公演は大変だ。台本の事や演出の事だけじゃなくてお金の事もやらないといけない。インフル2回、台風1回の超不運集団の私たちは非常に貧の身であるからしてこれ以上の不運は絶対に避けたい。コロナ禍以降、演劇という興行形態が持っているギャンブル性はハッキリと現れるようになった。この点で言えば、生まれてからギャンブルの類を一切やっていないと自負する私は、非常に大きなギャンブルを、少なくとも1年に2回はやり、その全てで負けているということになる。

 コロナ禍の時に公演が2つ中止になった時はお金の損失以上に精神的なダメージの方が大きかった。でも人間、なんにでも慣れるというもので、今じゃあ、インフル罹患の報を聞いてもまずは失礼。モンスターエナジーを飲む手を止める事はない。それから己が不運を潰れるほど抱きしめる。そんな時、ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ。

 無病息災。手洗いうがい。稽古中は無理をしない。疲れたら入浴。キムチ、納豆、めかぶ、を食べよう。嫌な事は起きたりしない。嬉しい事だらけ。打ち上げは絶対にチェーン店じゃないし、飲み放題じゃない。そんな排気口の新作公演にしたい。勿論、君が観に来て、楽しんで貰えるのが1番なんだけど。

 早く稽古をしたいけど、やっぱり稽古は大変だし、今回もまた稽古掛け持ちで、役者の動きを覚えるのが大変だし、その稽古の合間に、その次の台本作業に向けた準備もしないといけないし、WSの新作も書かないといけない。そんなネガが、稽古をしてみんなと作品を作る楽しさというポジよりも上回る瞬間にもうすぐ稽古が始まるんだなあと幸福な嘆息をする。物事そりゃあ複雑です。良いも悪いも混ざってこそ。じゃなきゃ私たちはとっくに明日に飽きている。

 午後、部屋の電気も付けずに昏くになるのを任せてトーマス ・ベルンハルト『消去』を読んでいた。それからマーティン・エイミスの古本をインターネットで探していた。そうしてPCから発する資本主義の燐光しか灯がない様な冬の夕暮れの時になって今日が私の誕生日であるとハッキリと実感した。

 私はインターネット内弁慶だし、実はかなりの人見知りなので、祝いの当事者で在る事が酷く照れくさくなってしまうタチで、出来るだけ祝われる事を、しかしなるべくスマートに、回避してきたのだ。こーいうタチの人間は逆に誰かを祝う事はとても好きなのである。私も例に漏れず誰かの祝い事や誕生日会など大好きなのだ。

 という訳で誕生日なんだ。私の。なんでこんな事をnoteに書くかと言うと「おめでとう」の気持ちでお酒でも奢って下さい。という事。公演の前で貧の身なので、誕生日を口実に酒宴の1つでもたかろうって算段なのだ。これを卑しいと言うか、キュートと言うかは貴方次第。

 昨日、0時のタイミングで少し恥ずかしかったけど自撮りしました。なんかこーいうのもいいかなって。だから、あんまり自撮りとか上げないけど誕生日だからあげちゃいます。これからも皆さん宜しくお願いします。














 今日で1歳になりました!!バブ!! 

 

いいなと思ったら応援しよう!