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連載小説『私の 母の 物語』二十 一(88)

 入院の日、病院の車椅子に母を乗せて病室まで移動した。不調の人たちが来ているのだから当然と云えば当然だが、受付や待合室にいる患者やその家族は皆表情が重い。わたしは母の車椅子を押しながら「おかちゃん、これやあったら楽ちんでええな」と笑ってみせた。母もわたしの顔を見て笑った。口には出さなかったが、自分がどうして病院にいるのか、車椅子に座っているのか分からなくなっているような表情だった。
 入院病棟の主任だという看護師は明るくて大らかそうな人柄で安心した。入院手続きの説明をした看護師は少し早口で事務的な口調だった。この病院に来て初めて見た病院関係者の笑顔が、この病棟主任の看護師のものだった。
 母が個室に入るのを見届けてから、わたしは仕事に向かった。あとは夜まで父と姉が付き添い、夜には父が家に戻り、姉だけが母と一緒に病室で眠る。姉が夜も母に付き添う旨を告げると、病院のほうで簡易ベッドと毛布を貸してくれた。簡易ベッドといっても折り畳み式の台車のようなもので、これで幾晩も眠るのは大変だろうが、それでも椅子で眠るよりは格段にいい。
 その夜、寝る前に一度姉の携帯電話にメールをいれた。病棟内では携帯電話の使用場所が決められていたが、メールならば部屋にいても連絡がとれる。もっとも電波が医療機器に与える影響を考えると本当は控えるべきなのかもしれない。
「いまのところは大丈夫」
 メールの返信が来た。母が夜中に目覚めて自分が何処にいるのか分からなくなっても、家族の誰かさえいれば説明できるので安心だ。看護師に事情を話しておけばもちろん対応してくれるだろうが、母の性格だと遠慮して尋ねられず一人で悩んでしまう恐れがあった。トイレに行きたいときに遠慮してナースコールが出来ず一人で行こうとして転んでしまうということも考えられる。入院で環境が変わることが母の脳にどのような影響を与えるかは分からないが、素人考えながら母の不安を少しでも解消することがよいのではないかと思った。
 翌朝父と二人で病院に行った。姉の話だと夜中になって便が出ないと苦しがり、宿直の看護師が指で便を掻き出してくれたそうである。そのほかは特に混乱はなかったようだ。
 病院附属の看護学校の学生の現場研修ということで、この日から常時一人看護学生が母につくことになった。紹介された学生はずいぶんと落ち着いた感じの人だった。濱中さんという人で、あとで姉が聞いたところによると一度大学を卒業して社会人になり、もう一度看護学校に入り直したということだ。歳は二十九とのことであった。今の母は何もかもがスローペースだから、濱中さんのような落ち着きのある研修生でよかったと姉は云った。
 父が姉に一度家に帰って夕方まで仮眠をとるように云ったが、姉は手術日までは病院にいると云う。それで近所のレストランで一緒に昼食を済ませて、その日もわたしだけが仕事に向かった。

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