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連載小説『私の 母の 物語』二十 一(87)
母の手術は六月十三日水曜日の午後一時からと決まった。
その前の週末、埼玉から姉が来た。入院の間、姉に付き添ってもらうことにしていたのだ。
環境が変わったとき、母は自分の居場所が分からなくなることが多い。夜中に病室で目覚めたとき傍に家族がいなかったら自分がいったい何処にいるのか、どうして此処にいるのか分からず不安になるに違いない。わたしにとっては首の手術よりもそのことのほうが心配だった。
そこで担当医に願い出て、個室で家族が一緒に眠れるように取り計らってもらった。と云っても、わたしは塾の仕事なので夜遅くにしか病院にいけないし、父も一晩中付き添うのはもう体力的にきびしい。そこで主に夜は姉が付き添うことにして、昼間は父が付き添いをするという手筈にした。
義兄は母のことは充分理解してくれていたから姉がこちらに来ている間一人で暮らすことに難色を示しはしなかったが、姉としてはやはり夫に不自由をかけることは気が咎める。ただ義兄の母親が入院したときに姉がその世話をした貸しがあるので、姉としては幾分気が楽だと云っていた。姉のところは夫婦の財布は一つにしているようだが、お金は別として気持ちの貸し借りはあるらしい。
姉の顔を見るなり母は、鳥取旅行のときと同じことを云った。
「茂樹さんはよ?」
「仕事で来られやんのよ」
「ほんじゃ光は一人で何しに来たんよ?」
「ねえちゃん、おかちゃんの入院の付き添いにするために来てくれたんよ」
「おかちゃん入院するん?」
「そうよ」
「おかちゃんなんで入院せなあかんのよ?」
「頸椎の手術のためよ」
「頸椎ちゅうたら首かよ?」
「そうよ」
「おそろしよぉ! おかちゃんそんな手術らせんよ」
「もうあかんで。来週から入院することに決まってるんやから」
「茂樹さんはよ?」
「茂樹さんは仕事で来れやんのよ」
「ほんじゃ光は一人で何しに来たんよ?」
繰り返し繰り返ししみ込ませるように話して、一応母にも飲み込めたようだった。
入院の週の日曜日、必要なものを姉と一緒に買いそろえに行った。
意識して探すと、母のような病人のための製品というものは意外とあるものである。パジャマも面ファスナーで着脱できるものがあって、母がパジャマのボタンが留められないと嘆いていたときに早くこのパジャマを見つけていれば良かったと後悔した。世の中には多種多様なものが存在しているのに、必要に迫られなければなかなか気づかないものだ。母に似合いそうな、なるべく明るい感じの柄を選んで買った。こういうときに女手があるのは本当に助かる。(続く)