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連載小説『私の 母の 物語』 六 (40)

 祈りのことばは理性ではなくむしろ感情にまかせたほうが自然なのかもしれない。たとえばそれが叶わぬ願いだとしても・・・・・・。
 しばらくして、こう祈るようになった。
「わたしが結婚して子どもを授かり、孫と暮らせる日まで父も母も息災でいてくれますように・・・」
 さまざまな祈りのことばを考えていると、自分のことは存外祈りにくいものだと気づいた。本来自分のことは自分で切り開いていくべきことで祈るべきことではない。自分の力ではどうにもならないことこそ、祈りのことばにふさわしい。そうとは知りつつ、こんなことばになったのは、わたしがその頃意識していた女性がいたからだ。

 その女性とは半年足らずの交際で終わった。わたしには珍しく見合い以外で知り合った女性だった。母が食べかけのバナナを引き出しに入れていたことを話すと、「それくらいいいじゃないですか」と微笑んでくれた人だった。わたしはこの人なら母のことを理解してくれると思った。
 結局わたしの思いだけが空回りしてごく短いつき合いに終わったが、まだ独身でいることは人伝に聞いて知っていた。
 彼女の年齢なら子どもはあきらめないといけないかもしれない。なんとか母に孫を見せてやりたいが・・・・・・。今年中に結婚できれば、なんとか間に合うんじゃないだろうか? いや、無理をさせてはいけない。
 まるで彼女が結婚を承諾してくれたような気持ちになって、わたしは在りもしない結婚生活を思い描いた。
 彼女は父親と二人暮らしだ。彼女がわたしの許に来たら父親が一人ぼっちになってしまう。それなら彼女の父親も一緒に暮らせないだろうか。二階の客間を彼女の父親の居室にすれば・・・。そう云えば、彼女の父親は足がよくないと聞いた。ホームエレベーターの費用はどれくらいだろうか? 一階のクローゼットのところをエレベーターにすることは出来ないか?
 わたしには目の前のことも決まらないうちから、先々のことをあれこれ考えてしまう癖がある。以前の見合いのときもそうだった。現実は自分の青写真どおりにはいかないと知っているのに、考え出すと止まらなくなる。
 彼女は父と母との同居を承諾してくれるだろうか? これはいまのわたしには譲れない条件だ。父と母は、わたしと一緒になる人が同居を望まないなら、介護サービスのある高齢者向けのマンションか老人ホームに入居すればいいと常々云っている。だが、母の死も、父の死も、そう遠くない未来に迫ってきている今となっては、それはしたくなかった。
 中学で家を出て以来また一緒に暮らせるようになって新しく家族の生活を築いているところなのだ。親離れ子離れが出来ていないという批判は甘んじて受けよう。最初に就職した神奈川の会社を辞めたとき、向こうで再就職するという選択肢はあった。会社の社員寮を出たあと借りたアパートの大家からは地元の大地主の家で養子になる人を探しているがどうかと打診された。東京の大学に進学したときには和歌山に戻るつもりはなかったから、それでもよかったのだ。しかし、次の仕事を決めていなかったために一度帰ってこいという親のことばに抗しきれなかったとはいえ、ともかくわたしは和歌山に戻ってきて、成り行きとはいえ両親と一緒に暮らしている。いまとなっては、結婚するとしても、わすれるひとになった母を父に任せて、その人と二人だけで暮らすことはわたしには出来ない。
(それでも彼女に云われたら曲げてしまうかもしれないな・・・・・・)(続く

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