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連載小説『私の 母の 物語』九 (52)

 母がよく登ったという山がある。ちょうど家の食卓からその山は見える。標高七百五十メートルほどの山で登山口までは車で行けるが、そこから頂上までは一時間以上は歩かねばならないと聞く。母の足ではとても無理だし、観光の名所というわけでもないので、山登りが趣味という人でもなければ登らない山だ。しかし、母はさもその山に登ったように《体験》を語る。
「あの山へよう登ったもんやったけど、もうこの頃はよう登らんなあ」
 最初は単なる勘違いだと思った。その山の手前に百合山という小山があり桜の名所なので二、三度花見に行ったことがあった。
「それ手前の百合山のことやろ? あの山へは行ったことないで」
 しかし、母は首を振った。
「そりゃ、おまえや行ったことないわよ。わたしやおとちゃんと行ったんやさけ」
「おかちゃん、あの山は車で行けやんで。それや手前の百合山のことやいしょ」
 父も母の勘違いを正そうと口をはさむ。
「車とちゃうよ。歩いて登ったんでよ」
「誰とよ? ぼか、おかちゃんと一緒に行ったことないで」
「ほいや一人で登ったんでよ」
「あの山の下までどないして行ったんよ? ここからやったらあの山の下まで車でも三十分近うかかるで」
「そりゃ、山の下まで歩いて行ったんだよ」
 それから母は、一人で頂上まで登り、山を越えてさらに父の二番目の姉の家まで行ったという。
 その山の西にある山を越えると好恵というその伯母の家に行くことが出来、父と母はそのルートで伯母の家に行ったことがあったから、そのときの記憶と百合山に登ったときの記憶がないまぜになっているようだ。
 父とわたしがそれは勘違いだ、あの山頂まではとても遠くて母の足では行けないと云っても、母は自分一人で登ったのだから、父やわたしは知るはずがないと云って譲らない。
 あまりに言い張るものだから、父とわたしもひょっとして自分たちの知らない間に本当に登ったことがあるのだろうか? などと考えてみたが、母のいうルートをたどれば、とても半日やそこらで行ける行程ではない。
 結局それは、家族の間では、母の思い出にしておこうということになった。父は性格的に事実でないことを事実として扱うのは気持ちが悪いらしい。しかし、わたしはそれも母の生きた軌跡だと考えることにした。

 誰もが自分の脳に作り上げた物語を生きている。人が人と関わりあうことは、自己の物語と他者の物語とが触発しあうということであろう。そのときせめぎ合う物語もあれば、共鳴する物語もある。あるいは融合して新たに生まれる物語もあるだろう。
 藤村記念館で、わたしはそんなことを思った。(続く

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