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連載小説『私の 母の 物語』 七 (42)

              七

 「今日は何曜日よ?」
「今日は水曜日よ」
「水曜日? ほんじゃ今日はデイ行かんでええんか」
「うん。デイは火曜日と金曜日やから行かんでええで」
「そうか。うれしいよ」
 母がデイサービスに行き始めたのは、かかりつけ医の勧めである。慣れ親しんだコミュニティーから離れて人と交わる機会が減っている。家族の中だけで過ごしているとますます症状が進む恐れがある。デイサービスのようなところへ行って、人との交流を盛んにしたほうがよい。それで市に相談して、家から車で十五分ほど離れた『いちご苑』という施設に週二回通うことになった。いちご苑という名称は、市の特産品のひとつが苺であることから付けられたのだと思うが、「いちご」という音が「一期」に通じるようで、わたしはなんだか嫌な感じがした。
 母はもともと社交性のあるほうではない。教員の世界というのは閉じられた世界で、仕事の大部分の時間は子どもたちとの接触であり、教員同士のつきあいや保護者とのつきあいというのはごくわずかだ。生来社交性のないところへもってきて、教員生活の大部分を田舎の分校でおくった母は、人との交際の術をほとんど身につけることのないまま歳をとったようにみえる。人づきあいが苦手で、ごく慣れ親しんだ人以外とは会うことを好まなかった。
 もっともそれでいて母には、人見知りの激しい人や偏屈な人、見ず知らずの人など、多くの人がつきあいかねるような人のこころに、すっと入っていくようなところがある。

 姉夫婦が香川にいた頃、徳島にある四国八十八カ所の一番札所である霊山寺にお参りしたことがあった。
 そこで母と姉は七十ぐらいのお遍路姿のおじさんに声をかけられた。そのおじさんは八十八カ所巡りをすでに達成しており、今度のお遍路が二回目だという。八十八カ所巡りで札所に納める札は回数によって色が違い、五十回以上お参りした人は金色の札を納めるのだとその札を見せてくれた。姉の見立てでは少し癖のある人で、誰彼なしに八十八カ所巡りを自慢して煙たがられているようだったという。
 ところが、母は話を聴くと「握手してください!」といきなりそのおじさんの手をとった。おじさんは目を丸くして母を見つめた。そして、その金の納め札を母に渡して、「これをあげるから家の床柱に貼って拝みなさい」と云ったのだそうだ。
 おそらくおじさんの話に心底感心したのは母だけだったのだろう。
 また母は、父の兄弟で上から六番目の姉で発達に遅れのあった貴恵伯母が、実の姉たち以上にこころを許した相手だったという。(続く


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