俳句「すべて秋のせいにしてしまおう」
秋さびし干物の鰺を焼く音も
これも母が亡くなる前に詠んだ句なので、このさびしさは母のいなくなったさびしさではないのだが、いまとなってみれば何もかもが母の死に収斂するような形になってしまった。母は、肉は飲み込めなくなっていたし、魚もやわらかいお刺身を一切れ二切れ食べるぐらいだったので、干物は自分が食べる分だけ買ってきて、一人で食べていた。
さらには、母と別々の物を食べるだけでなく、母の食事の介助をしながら自分も一緒に食べるのが難しくなって、自分が先に食べてから母に食べてもらうというふうになった。
さびしいのは秋だからではなく、自分のためだけの食事をつくるようになったことだが、秋のせいにでもしなければやってられない。