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連載小説『私の 母の 物語』十二 (66)
しばらくするとひょっこり母が現れた。
「あー、気持ちよかった・・・」
聞くと、便が出そうになって人目につかないところにいって済ましてきたのだという。
「山の中はうんこしても、そこらの草でお尻拭けるさけ、けっこなもんや」
母は笑った。
地震の傷痕もほとんど癒えぬこの時期、わが家はこのとおりいたって暢気であった。母の症状は少しずつ進行してはいたが、今年もまた変わらぬ春がやって来た。ふと、わたしは杜甫の『春望』という漢詩を思い出した。
国破れて山河在り
城春にして草木深し
「国破れて」とは人事である。「山河在り」とは自然である。しかし、こうして山の中で山菜を採っていると、まるで自分の営みは人事ではなく自然のように錯覚される。そう考えると長い間自然だと思っていた「城春にして」は、人事だと解釈することも出来るのではないかと思った。戦乱で心身ともに傷つく人びとがいる一方で春を謳歌する人びとがいる。もちろんこれは曲解にすぎないが、今回の大震災を思うとき、「国破れて山河在り」とは地震や津波で破壊され、すっかり様相を変えてしまった自然と大きな変化に見舞われず姿の変わらぬままの美しい自然、「城春にして草木深し」とは華やかな繁栄を大いに喜ぶ人びとと陰惨な衰退を深く憂える人びとというように、人事と自然の対比ではなく、自然と自然、人事と人事の対比として読むことは出来ないかとわたしは考えた。そして、そう考えたときわたしは「草木深し」ではなく「城春にして」の立場にいる。こんなことを考えられるのは、やはりわたしが月の人ではないまでも対岸の人だからに違いなかった。と同時に、わたしもまた、「春にして」なお「深し」といえるものを抱えている。やはりこの一句は人事なのだと、緑芽吹く前の木々を見ながら、わたしは一人勝手な解釈にこころを遊ばせた。
その頃テレビでさかんに耳にすることばに、「被災地の人たちに勇気を与えたい」というものがあった。一部の芸能人やスポーツ選手がよくこのことばを遣った。わたしはこのことばが嫌いだ。
時に感じては花ににも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
花の美しさにも鳥の声にも、より哀しみを深くする人びとに勇気は届くのだろうか? という疑問とは別に、「与える」ということばの響きが嫌だった。せめて「勇気を感じてもらいたい」と云えないものかと思ったが、これとて所詮対岸の人間の揚げ足取りなのかもしれない。「勇気を与えたい」ということばを聞くたびに、なんとも苦々しい思いを抱きながら、「そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ」というチェーホフの『かもめ』の台詞もまた自分の中から聞こえてくる。
杜甫のこの『春望』という漢詩を、中学で習い、暗誦し、大人になって塾を開いて生徒たちに教えもしたけれど、それまでどこかこころの遠いところにあって、特別意識することのない詩だった。しかし、今はテレビで流される映像やキャスターたちの訳知り顔のコメントよりも、時代も状況も隔たったこの一編の漢詩のほうが、少なくともわたしの物語にとってはリアリティーがある。(続く)