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連載小説『私の 母の 物語』三(22)
伯母が入院することになり大阪のアパートを引きはらうことになったとき、父と母を手伝って、わたしも部屋の片づけをした。伯母は買い込んだ物が収まりきらず、空き部屋をもう一部屋借りて住んでいた。片づけをしていると、まだ新品のままの靴や帽子、洋服、時計などが部屋のあちこちから出てきた。使うために買うのではない。買うときの快感を味わうためだけに買うのである。箱から出した二足の靴は、デザインの全く同じ色違いのものだった。誰にも履かれることのないそのエナメルの靴はせつないくらい輝いていた。
ねえ伯母は病院で亡くなり、病院の一室を借りて密葬をして、病院の近くの火葬場で骨になった。
密葬に立ち会ったのは、まつこ叔母夫婦と母と父と私である。伯母の一人息子である従兄弟の俊一さんは、午後になってようやく火葬場に現れた。
伯母が入院してから、母は何度も見舞いに行こうと俊一さんを誘ったが、そのたびに仕事がいろがしいからと断られた。伯母の借金のせいで実家を失った俊一さんは、家を処分した父や母を恨んでいるかもしれなかった。もちろん家を売らねばならない事態を招いた伯母に対しても複雑な気持ちを抱いていたことだろう。とうとう俊一さんは、実家が売られてからは、伯母が骨になるまで会いに来なかった。
その頃からだったと思う。母がさかんに日付を訊くようになったのは。
「今日はなん日やったかな?」
「今日は九月の二十日よ」
「えっ、もう九月かよ! わたしや四月とばっかり思てたよ!」
母は若い頃から周囲と体感温度がずれていて、家族の者が暑いと云うときに寒いと云ったり寒いと云うときに暑いと云ったりすることが頻繁だった。それにふと思いついたことを考えもせずに口に出すところもあったから、頓珍漢な発言も少なくない。
だから、秋を春、冬を夏というくらいのことは(よそでは知らず)わが家ではそう驚くほどのことではない。ただ、今までと違ったのは、同じことを何度も訊くことだった。
「今日はいったいなん日よ?」
「さっき云うたやん! 九月二十日よ」
「そうかよ。もう九月かよ」
「もうじき彼岸やで」
「ほんじゃ楠本へ墓参りに行かなあかんな」
「うん、二十三日の午前中に行こらよ」
「ところで今日はなん日よ」
「なん日って、いま彼岸の話してたやんか!」
「彼岸て、ほいや今日は三月の二十日かよ」
「三月って、そりゃ半年も前やで!」
「半年前ってことは、もういま九月かよ?」
「さっき、そう云うたやんか!」
「そやったかな?」
「新聞見たらええやんか!」
「ええやんか。教えてくれたら」
「なんべんもおんなじこと云わんなんのえらいよ!」
「わたしやなんべんも訊いたかい?」
「訊いたかいって・・・・・・。もう三べん目やで」(続く)