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連載小説『私の 母の 物語』 七 (45)
しかし、母がどんなにそういう人たちから好かれようと、母自身は人づきあいが不得手だから、デイサービスに行って慣れない人と一緒に過ごすのはかなりこころに負荷のかかることだろうと思われた。
人づきあいを別にしても、デイサービスのサービスそのものも母にとって面白いものではなかったようだ。
母自身がその日何をしたかを覚えていないので、実際のところどんなことをしているのかはよく分からない。ただ、母がときどき持って帰ってくる物を見たり、おぼろげに覚えていることを聞いたりした範囲では、計算や漢字のプリント、ぬり絵、折り紙など頭や指先を使って脳を刺激するようなことと、ゲームやカラオケなどのレクリエーションがあるようだ。月に一回は「買い物の日」というのがあり、施設の人が近くのスーパーや百円均一の店に連れていってくれて千円程度の物を買うということもするらしい。
人づきあいの嫌いな母はゲームなど(それもプラスチック製のピンとボールでするボーリングなど幼児のする遊びのようだ)に参加するのは気が進まないだろうし、まして人前で歌うのなど大嫌いだから、カラオケに興じることも出来ない。計算や漢字のプリントも子ども時代に戻ったような気分で懐かしがるお年寄りもいるだろうが、小学校で教えていた母にとっては簡単すぎて手応えのないものだろう。いまの記憶より自分が教員をしていたときの記憶のほうが確かなのだ。百点をとって施設の人に「さすがですね」などと褒めてもらったところで自慢にもなるまい。
家で独りぼっちになる人、身体が不自由で自分では入浴の出来ない人、母よりも記憶の定かでない人、さまざまな人を一つの施設であずからねばならない職員の方々には申し訳ないが、朝九時半から夕方三時半までの六時間を施設側も持て余しているように感じる。施設の場所にしてからが、周囲より少し低い日当たりのよくない狭い場所にあり、美しい景観もなければ広い庭もない。
父は家にいるより少しでも人と交わったほうがよいという医者のことばを忠実に守ろうとするが、わたしはこれが本当に母のためになるのか正直疑問に思うこともあった。
火曜日と金曜日、デイサービスの朝は、二人がかりで母を送り出す。まず、なかなか起きてこない母をなんとかして説き伏せて起こす。母は起きてからもぐずぐずして、すぐには顔を洗ったり服を着たり化粧をしたりしない。服や化粧品の置き場所もわすれてしまっているから、父がそれらを用意する。わたしのほうは、火曜日と金曜日がちょうど地区の「燃えるごみの日」なので、起きるとごみの分別をして(始めから分別しておけばいいと思うが、父は面倒だと云う。家事のほとんどを父に任せているわたしは反論できないので、いつもごみ出しの前に分別する)ごみ置き場にごみを出す。父もわたしも晩酌が日課なので、夜は何をするのも面倒になることが多いから、いつもごみ出しは朝だ。それから朝食を調える。湯を沸かし、コーヒーを淹れ、トーストを焼き、サラダやヨーグルトを用意する。父も母も老年になってから便秘がちで、薬を飲まないと五日も六日も便が出ないことが多くなってきたから、できるだけ野菜やヨーグルトを摂るようにしている。食事が調うと母をテーブルに呼ぶ。毎回食事の前になぜだか母はトイレに行く。準備している間に行けばいいものを、いつも用意が出来たと云わないとトイレに立たない。(続く)