見出し画像

連載小説『私の 母の 物語』十五 (74)

 人間はタマネギかラッキョウのように皮を一枚一枚脱いでいって、本当の自分にたどりつくのだということを何かで読んだ記憶がある。母は一般の人より皮を脱ぎはじめるのが早かったように思う。そして今はだいぶ芯のほうに近くなってきているような気がする。
 昔からしんどいときは休むのが信条の人である。不精者でめんどくさがり屋だから、家族の前ではトイレの扉はたいてい開けっ放しだし、入れ歯もリビングのテーブルの上にそのまま置いていたりする。また昔から世事に疎く実務的なことは苦手で、親戚や近所の冠婚葬祭のことも中元や歳暮や年賀状のこともすべて父任せである。
 気分屋で自分本位な人である。家族で一緒に出かけるときなど準備万端整い、さあ出発という時になって「わたしや今日は行かんど」などと云ったり、父やわたしが食事を調えても、腹いっぱいで食べたくないと云いながら食卓について自分の皿の唐揚げが一つ少ないと「なんでおかちゃんだけ一個少ないんよ」などと云う。
 他人の気持ちをよく考えもせず思ったことをすぐ口に出してしまうので、ときに相手を不愉快にさせる。よそのお宅で心尽くしの料理をいただいた後、最後に茶漬けでもどうですかとすすめられた茶漬けを食べて、「ああ、お茶漬けが一番おいしい」などと口にしてそのお宅の人を唖然とさせる。外に出るとき自分がさんざん化粧だトイレだと待たせておいて、出掛けに父が少しでももたもたしようものなら「おとちゃん、何ぐずぐずしてるんよ」と平気で云う。
 道徳的にも褒められた人ではない。車の中で食べたみかんの皮など無造作に窓の外へ捨てるし、ある時はジュースの空き缶を捨てたこともある。
 勝ち気で、自尊心が強く、見栄っ張りである。北海道の親戚が和歌山に遊びに来るとき、母よりも先に妹のまつこ叔母のところに連絡をしてきたといって機嫌を損ねる。大学入試の話題で、東大に入ったわたしの同級生の名が出ると「幸彦も数学は出来たら東大へ行けとったのに・・・」などと自分の息子も東大相当の学力はあっと思い込もうとしたり、共通一次試験のとき同級生の母親に「井上君も受けるん?」と驚いたような顔をされたという話をまだ執念深く覚えていて、「わたしやあのお母さん嫌いよ」などと試験の話題が出るたびに云う。
 一方で母は家族や親戚が逆風のとき、普段のぐうたらからは考えられないような馬力を発揮する人である。ねえ伯母のことでは何度も大阪のアパートや病院に足を運んだ。わたしが長谷川の家に下宿したときも筆不精の母が短い期間に何通も手紙を書いてよこした。姉とわたしが二人でアパート暮らしをしているときには、訪ねてくると必ずトイレ掃除をしてくれた。父が前立腺癌で入院したときも近年の母になくしっかりしていたし、今でも父の体調の悪いときは急にしゃんとしていつもよりはものわすれをしなくなったりもする。(続く


いいなと思ったら応援しよう!