何が問題なのか
もし彼女が人種も性別も異なれば、同じ発言でも異なる評価と異なる影響をもたらすだろう。
一つの可能性だが、彼女が高齢者、身体障害者、或はクィア(LGBTを包括した意味で)だったならば、より効果的だったと思われる。
注目すべき点は彼女の発する言葉が素晴らしいとか、米中の情報合戦だとか、或いはその他流通してる憶測やデマなどではない。
全米に広がるバイアスに対する抗議デモにも実はバイアスが潜んでいて、この抗議デモに対する抗議動画もまたバイアスの上に成り立ち、さらにはそれらをバイアスだと認識していても〝断じて〟バイアスだと捉えてはならず、触れてはならないという点。
では、問題なのはなにか?
今回のバイアス抗議デモに限らず、この様な事は余りにも表面化・大衆化され、〝問題の原点〟が周縁化されるばかりか、どんどん埋れていき、もはや〝問題として認識されてすらおらず、いま問題になっている事が実は問題視されるべき事をカモフラージュし隠蔽の手助けをしまっている。
問題なのは、〝問題が問題として認識されないこと〟
ネットで自由に匿名発信ができ、高速に情報を共有できるこの時代だからこそ、〝思考する〟という作業とそのクオリティが問われる。
メディアとは現実の一部をクローズアップし、更には〝見せたい様に見せている〟に過ぎず、またそれを受信する側は〝見たい様に見る〟というのが事実で、〝自分が見たい様に見た、誰かが意図的に見せたい様に見せたクローズアップされた事実の一部〟とは、一体どんなに歪な絵なのだろうか。
氾濫する情報に惑わされず、軽率に発信・行動に移る前に、今一度冷静になって思考する必要があるのかもしれない。
この動画もそうだが、先に挙げた動画も含め、コメント欄でのこの動画に対するコメントにこそ真の問題が潜んでいると思う。
もっとも、彼が金髪碧眼だったらまた異なる結果になっていたのかも知れない。
黒人差別と同系列で問題となっているのが、アジア差別。
これはアメリカの移民問題というよりかは、白人中心主義な世界構成による産物。
でもやはり面白いのはコメント欄。
対象物が白人・ヨーロッパの場合、いかなる事象への批判も冷静で理知的な態度であると窺える。
同様な事例が隣国や同じ肌色の国で起きた場合、今頃大炎上してデモに発展することだってありうる。
或いは、仮に途上国や貧困国で同じ事例があった場合、評論的な視線などまた異なる反応になるであろう。
そこの差は、何だろうか。
優越感のみならず劣等感も含め、目に見える大きなものではなく、潜在意識レベルのミクロな事象の中にこそ偏見と差別は潜んでいる。