⑦ブッツァーティ「La canzone di guerra(戦争の歌)」
こんにちは。卒論書き書き大学生です(まだまだ本文は書き始めていない)。
最近は「Buzzati」という単語を自分の名前より見聞きしてるくらい彼について読んでいるのですが、新たに読んだテキストの中で特に私の気に入った短編「La canzone di guerra」についてあらすじと感想を書き書きします。
日本語版について
本作は短編集『I sette messaggeri(七人の使者)』もしくは『Sessanta Racconti(短編70作)』に収録されています。今回は後者の方を大学の先生が貸してくれました。
ブッツァーティの短編集は日本語訳もたくさんでているのですが、収録作品が日伊で対応していないので「戦争の歌」の日本語版が出ているのかはわかりません。すくなくとも岩波の『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』には収録されていませんでした。
あらすじ
ある王国の国王が従者を呼びつけて以下のように尋ねる。
「兵士たちが歌っている歌はいったい何なのか?」
著名な音楽家に作らせた勇ましい軍歌ではなく、どことなく悲しい響きの歌が兵士の行進する広場から宮殿に聞こえてきていたのだ。その国の軍隊はとんでもなく協力で、勝利に次ぐ勝利を収めており、その日も広場を凱旋していた。そのため宮殿の国王たちは謎の歌を不思議に思いつつも無視した。
その歌詞はよく聞き取れず、軍隊長が兵士たちにどんな歌詞を歌っているのか聞いたところ、兵士たち自身も発音も意味もわかっていないまま歌っているようだった。
教育をまともに受けていない兵士たちの中でも比較的読み書きに通じた一人の兵士がその歌詞を紹介するが、彼もその意味は分かっていない。その歌詞とは以下の通り。
読者には当然のように意味の理解できるこの歌詞を兵士たちは響きだけで気に入って口ずさんでいるのだ。
兵士たちの向かった街でも、大人子供がこの歌を聞いて口ずさむようになっていった。
軍隊は勝利に次ぐ勝利をおさめ、王国の国境はどんどん広がっていった。勝利の凱旋が広場で行われるたびに国王は例の歌を聞き、気分を悪くしていた。それでも兵士たちはその年も次の年も勝利を重ねていった。
しかしある日、突然凱旋の広場には誰も来なくなった。そしてその代わりに外国からの大きな荷物を運んだ貨物車が宮殿にやってきた。それは兵士たちの、無機質な木製の十字架の山であった。
純粋な物語としての感想
ブッツァーティはよく”予兆的”な話を書くと言われているのですが、この話は特に色濃くその特徴が出ていると思います。
物語の序盤で予告・宣言・暗示が入り、それが物語の構造にリンクしているということですが、それが”予兆”と表現される理由は実現・非実現が最後までわからないところにあります。
今回の「戦争の歌」においては「王国の軍隊が負けることはない」という宣言と、歌の内容に示される兵士たちの死に様の暗示の二つがあります。結果としてはどちらもその通りになるのですが、兵士たちの死に様や苦しみは描写されず、歌の内容から想像するのみになります。それどころか、4ページの物語のうち最後の1ページの前半までは兵士の勝利劇が続き、もう物語が終わってしまうのかと思った最後の最後に悲劇の結果のみが王国に届くのです。
不安だけ煽っておいて何もない、という展開もブッツァーティの物語には見られるのですが、今回もそれかと安堵した矢先のどんでん返し。結末を事前に予告しているのにここまで最後まで読ませるのは流石というしかないですね。
ちなみにブッツァーティ作品においてこのように因果もなく突然悲劇や超自然事象などが起こりがちなのは、彼がコリエレという新聞社にも努めており、各地で日常を壊すような事件を取材していた経験が大きいのではと言われています。
また、この話の軸の一つになっているのが「(読者以外は)歌の内容をだれも知らない」という点です。歌っている兵士や人々は旋律をなんとなく気に入っているのみで何を歌っているのか自覚しておらず、歌の内容を聞けば理解できる宮殿の知識人たちは兵士のいい加減な発音に耳を傾けようとしないため、ただただ何年も破滅を知らせる歌が独り歩きをしています。
ブッツァーティ作品のナレーションは「神の視点」のような語りをすることが多く、本の中の世界の人々はだれもしらないようなことを読者にこっそり教えてくれます。『タタール人の砂漠』においても主人公ドローゴに「砦で敵を待っていても空しく人生の時間が過ぎていくのみである」とずっと囁いています。もちろん登場人物たちにはその声は聞こえませんが。
これはいわゆるメタフィクション、本の中の世界であることを前提にした語りであると考えることができると思います。同じ構造を一段階ずらすと、私たちの現実世界にも誰もキャッチできていない隠された警告がずっと鳴り響いているのかもしれませんね。
これを読んでくださっている親切な方へ、また大学生の私自身に向けて、『タタール人の砂漠』の一説を書きます。
時代背景を踏まえた感想・考察
「戦争の歌」が収録された『I sette messaggeri』は1942年に出版されました。この時期と言えばガチの戦争(WWⅡ)の最中です。
当時のイタリアはファシズム検閲下にあり、1920年くらいからじわじわと、1930年くらいにはすでに本や新聞、学校教育にまでおよぶ検閲の目が光っていました。取り押さえの対象は政権批判や戦争反対の主張だけでなく、事件や経済不振の記事も厳しく見られていたようです。そうして「ファシスト政権下になってから国は良くなった」という印象を持たせようとしたのですね。
(参考:Cesari, M., ‘La censura nel periodo fascista’, Liguori, 1974)
そのような背景を踏まえたうえで私が気になったのは以下の2点です。
①登場人物の名前
重要人物というわけでは一切ないですが、名前付きで出てくる人物が4人います。国王が軍歌の作曲を依頼したSchroeder、兵士のDiehlem、Marren、Petersです。
SchroederとDiehlemは見からにドイツ系の名前、MarrenとPetersは英語の名前かな?といったところでしょう。少なくともイタリア語の綴りではありません。
これは軍隊の悲劇を扱うにあたり、「この物語はイタリア軍には関係ありません」というアピールなのでしょうか。ブッツァーティは自分の作品において頻繁に聖書由来のオーソドックス名前(Giovanni=ヨハネなど)をよく用いるのですが今回は少し特殊ですね。
②作中で用いられる単語について
当時の検閲は厳密なものではなく、地方の検閲官によるシステマティックな「言葉狩り」のような側面もあったらしいです。
この作中において「敗北」や「不吉」といった言葉は登場せず、「勝利 vittoria」「前進 va avanti」「陽気 allegro」「栄冠 coronato」のようなファシズム好みの言葉で構成されています。また「歌 canzione, canto」「響く suonare」のような要素も当時のプロパガンダを担った歌の数々を彷彿とさせます。「giovinezza」という軍歌もその一つでYouTubeなどで聞けるので是非。
こうした言葉を進んで選んだのか、差し押さえられないために渋々選んだのかはわかりませんが、ポジティブな言葉で大部分が構成された悲劇というのはこの時代だからこそ生まれた味なのかもしれませんね。
おわりに
たった4ページの短編のためにかなりの文字数書いてしまいましたが、それほど深みのある作品ということでなにとぞ。
わたくしオカモト自身は7月の頭に卒論の中間発表があり、連日怯えて過ごしています。もしかすると発表の会場から帰ることができずに私の十字架が立っているかもしれません。生きて帰ってこれたらまた他の作品も読んでいきたいですね。今はブッツァーティ以外に古本屋で見つけたカフカとアラン・ポーを積読しています。
それでは。
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